2009/06/19

わざわいも幸いも

カエップ州にある山から見渡した、タイ湾を囲むカエップ(手前)とカンポット(向こう)州です。天気のいい日には向こう側に広がるボコ―山を見ることができます。

教会員のバナナ畑のおよそ200本あるバナナの木が、先日の嵐ですべて倒れてしまいました。バナナを売って生活をしていた家族ですが、食べるものも一切ないほど苦境に陥っているらしいという話を人伝いに聞き、先週教会員揃って、貯めてきた献金で50㎏の米を買って家族に持って行きました。その後どうしているだろうかと昨日一家を訪問したのですが、ご夫婦涙を流しながら、素晴らしい証しを聞かせてくださいました―「嵐の翌日、同じバナナ畑を持っている近所の人から、畑のバナナの木が全て台無しになったと聞き、急いで自分のバナナ畑に出かけたら、案の定、木がすべて倒れていました。でもその凄まじい状態を見ても心が騒がず、むしろ主に感謝したのです。私たちは罪人で、主の憐れみを受けるにふさわしくない者。主が恵んで下さったらそれは感謝。恵んで下さらなくても、それは当然と教会で学んでいますので、平安でいることができました。数日後、畑から主を賛美しながら帰ってきたら、米の入った袋が家の軒下においてあったのです。他の教会員に尋ねたら、『主からの恵みでしょう』と言われ、主の御名を心から賛美しました。まことに主は憐れみ深く、その恵みはとこしえに絶えることがありません。」

私たちはとかく、創造主は私たちに恵みを賜るお方で、災いをお与えになる方ではない、災いは悪しき霊から来る、と思いがちですが、聖書は実は、わざわいも幸いも、共に主から来ることを教えます。
哀歌3:38「わざわいも幸いも、いと高き方の御口から出るのではないか。」
イザヤ45:7「わたしは光を造り出し、やみを創造し、平和をつくり、わざわいを創造する。わたしは主、これらすべてを造る者。」
アモス3:6「町でラッパが鳴ったら、民は驚かないだろうか。主がなされるのでなければ、町に災いが起こるだろうか。」(口語)
ヨブ記のヨブの通された苦難は、このみことばを証しします。でも同時にその中で、主は私たちが苦しみのときに主に呼び求めるよう教えてくださり、私たちが呼び求めるとき、憐れみをあらわして下さいます。
彼が、わたしを呼び求めれば、わたしは、彼に答えよう。わたしは苦しみのときに彼とともにいて、彼を救い彼に誉れを与えよう。わたしは彼を長いいのちで満ち足らせ、わたしの救いを彼に見せよう。」詩篇91:15、16
苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」詩篇50:15

苦しみの時にも共にいて、私たちに主を求めさせて下さる主に心から感謝します。一家を通してさらに主のみ名が崇められますように。

2009/06/14

新生児

教会員の夫婦に女の子が生まれました。お父さんはベトナム人、お母さんはチャム人(イスラム教民族)、夫婦共々カンボジアでは少数民族の部類に属します。奥さんのスライソーさんは昨年流産を経験、教会員みんなで、赤ちゃんが与えられるように祈っていて、主に与えられた子です。教会の兄弟姉妹らと共に喜びました。
私たちが訪問した時はまだ名前を付けておらず、聖書から名前を付けたいと、お父さんのチアさんは聖書の女性の名前を私たちに確認してきました。名前はどうやらアブラハムの妻の「サラ」という名前になりそうです。この子を通して、主がご夫婦を更にご自身に近づけて下さるように―私たちの切なる祈りです。

2009/06/12

キリストが苦しんで死なれた50の理由

度々ご紹介しています、ジョン・パイパー師(ベツレヘム・バプテスト・教会)の本、「イエス・キリストが苦しんで死なれた50の理由」が、クメール語に翻訳され一ヶ月前に出版されました。日本語を含め、複数の言語に既に訳されているこの本、クメール語にも訳されるようにと私たちも1年前から祈っていたのですが、ようやく、実現しました。この本を通して、主が多くの人の目を開いて下さり、キリストが受けるにふさわしいそのご栄光をこのカンボジアでお受けになるよう、祈っています!

2009/06/09

「おどりあがって喜びなさい」

カンボジアではどこでも見かける水牛ですが、黒い水牛の中で、一頭だけ肌色の水牛がいるのが分かりますでしょうか。カンボジアにきて肌色の水牛を初めて見ました。

一年前に新しい場所に新居を構えた教会の姉妹が、最近近所の人たちから辛く当られ、陰口を言われ、口もきいてもらえなくなったと、話してくれました。どこに行っても救われた証し、またキリストの話をする姉妹ですが、何を話してもキリストのことしか言わない姉妹に、近所の人たちが嫌気がさしたというのです。「あんたは狂ってる」、「キリストは西欧の宗教だ」などと、言われ続けているということです。

キリストは私たちがキリストのゆえに迫害を受ける時、このように言われます、「人の子のために、人々があなたがたを憎むとき、また、あなたがたを除名し、はずかしめ、あなたがたの名をあしざまにけなすとき、あなたがたは幸いです。その日には、喜びなさい。おどりあがって喜びなさい。天ではあなたがたの報いは大きいからです。」(ルカ6:22、23)と。もし私が迫害されたら、果たして喜びおどることができるだろうかと、姉妹の話を聞きながら考えさせられました。かたやキリストを語ってやまないがために近所に嫌がられる姉妹のそばで、近所に嫌がられるほどキリストを語っていない自分を、恥ずかしく思ってしまいました。主の憐れみを請います。

2009/06/04

暴風雨

一昨日から昨日にかけて、大雨が降り続き、特に昨日は暴風雨に見舞われました。カンボジアに来て初めて体験した暴風でしたが、強風で、何と、教会の敷地内にある建物が全壊してしまったのです。この教会の敷地ですが、もともとフランス・アッセンブリー教団が6年前に保養施設としてこの敷地を買い取り、バンガロー6つを建て、そのうちの一つを礼拝場所として、カンポット・アッセンブリー教会が使用させてもらっており、非常に簡素な造りの上に、メンテナンス全くしていないので、今回の強風で、その6つのバンガローのうち、2つが全壊、一つが傾いてしまいました。自然災害がほとんどないと自慢しているこの国ですが、自然災害が起こった時に遭うであろう被害の、ほんの一部を目の当たりにしたかのようです。

2009/06/01

遠足

今日は子供の日で、カンボジアは公休日です。プノンペンのアッセンブリー教団教会が、ユースを連れてカエップ州に遠足にやってきました。救われていない人たちも沢山いるということで、是非福音を語って欲しいとマシューが招かれ、海辺で短い時間礼拝を持ったのですが…雨季のさ中の快晴、すぐにでも泳ぎたくて仕方ない若い人たち、礼拝中も心ここにあらずで、そわそわしていました。聞いてくれる人がいようがいまいが、福音を語る機会が与えられたら福音を語ります。後は主のみ手の中です…