アクセス・エイカース:キリストがこの身によって崇められることを願う私たちの日常生活、またはいい説教、あるいは世界のクリスチャンニュース等を紹介…「わたしが切実な思いで待ち望むことは、…生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」―ピリピ1:20
2008/11/29
2008/11/27
教団理事会宣教師団代表者合同会議
「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。」マタイ5:22
2008/11/22
諸国民のうちを望み見て

数か月前にはインドのオリッサでクリスチャンに対する激しい迫害が起こったり、米国各地ではクリスチャンたちが同性愛者から迫害を受けるなど、欧米諸国に関わらずクリスチャンに対する迫害は益々拡大しているこの頃ですが、それと同時に膨大な数の人々が日々救われているのは、日本ではあまり耳にしません。迫害レベルでは50カ国中世界第1位に位置づけられているイランでは、イスラム教からキリスト教に改宗した者と改宗させた者が暗殺されているのは日常茶飯事、アッセンブリー教団牧師も既に数人殺害されていますが、実は、政府が汚職で取り入れたサテライトテレビのキリスト教番組を見ている人が、何と人口の70%、聖書訓練の番組を見ている人が40%、という統計が出てきました("Mission Frontiers"9-10月号より)。番組を見て救われたという人が多く、地下教会が急速に成長、政府の取り締まりが追い付かないそうです。事実、カンボジアの隣、タイのバンコクの教団国際教会では、宗教亡命を求めたイラン人が教会の大半を占めているそうで、ファーシ語(イラン語)礼拝を持っているという話を、国際教会牧師から伺ったことがあります。迫害はクリスチャンがキリストの似姿につくりかえられるための主のみ業、宣教師が入っていけないような国で救われる人が起こされるのも主のみ業、主の御名は誉むべきかな!
2008/11/20
生きるのも死ぬのも主のため
義父ですが、衰弱し寝たきりの生活になりました。会話もほとんどできなくなっていますが、義母いわく、「主から与えられたこの道を走りぬきたい」と言っているということでした。死を前にしてそのように思うことができるのは、何と幸いなことだろうと思います。果てしなく自己中心の私たちが、「生きるのも死ぬのも主のため」と言うことができるのは、主のみ業以外何ものでもありません。義母が霊的にも肉体的にも支えられていることに、格別な主の憐れみを見ています。主に栄光をお返しつつ、再度、お祈りくださっている皆様に、このブログをかりて、ご報告申し上げます。
「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしていも死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」―ローマ14:8
2008/11/18
2008/11/14
水祭り
2008/11/05
人間をとる漁師
様々な経路を通してカンボジアに数か月前に到着した、日本、韓国、中国からのクリスチャンが、先週末、休暇を利用して、私たちを訪ねてカンポットに来て下さいました。それぞれ目指している方向は違いますが、目的はただ一つ、主キリストの福音を世界に出て行って宣べ伝えることです。主がそれぞれに成されているみ業の証しを伺いながら、胸が熱くなりました。「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ。」(ルカ5:10)のペテロに語られた主のみことばから伺うことができるように、主は今日も世界中で「人間をとる漁師」たちを起こされています。罪深い、主のみことばに従うことが不可能な私たちの心を新しくつくり変え、主に仕えたいという思いを起こされるのは、まさしく主のみ業です。日の出る所から没する所まで、国々のうちで主のみ名はあがめられています(マラキ1:11)!
2008/11/03
ペアッカダイさんの証
働き人
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