木曜日にマシューが下の親知らずを二本抜きました。親知らずが歯肉を破って上に生えておらず、隣接の歯を押しながら横に生えており、アメリカでも、日本でも、歯科医から「早めに抜いたほうがいいよ」と言われていたのですが今日まで残してしまい、ドイツ人のいい歯科医がいると聞き、ようやく抜歯の決意をしたのでした。日本で抜歯をした時も驚かれたのですが、歯そのものが大きいのと、歯根が3つに分かれているため、抜歯に困難を極め、2時間にわたる大手術になりました。術後4日経った今日も、まだ頬の膨れが引いおらず、食べ物もほとんど喉を通りません。今日は礼拝の説教もままならず、兄弟姉妹たちの憐れみを請いながらの奉仕でした。でもマシューいわく、「迫害を受けて殉教していっている世界中の兄弟姉妹に比べたら、こんなの痛いなんて言ってられないよな~。」親知らずを全部抜いても痛みを一切感じず、術後の回復も極めて早かった私には分からない痛みですが、同情する振りだけはしています(笑)。
アクセス・エイカース:キリストがこの身によって崇められることを願う私たちの日常生活、またはいい説教、あるいは世界のクリスチャンニュース等を紹介…「わたしが切実な思いで待ち望むことは、…生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」―ピリピ1:20
2009/03/29
マシュー、親知らずを抜く
木曜日にマシューが下の親知らずを二本抜きました。親知らずが歯肉を破って上に生えておらず、隣接の歯を押しながら横に生えており、アメリカでも、日本でも、歯科医から「早めに抜いたほうがいいよ」と言われていたのですが今日まで残してしまい、ドイツ人のいい歯科医がいると聞き、ようやく抜歯の決意をしたのでした。日本で抜歯をした時も驚かれたのですが、歯そのものが大きいのと、歯根が3つに分かれているため、抜歯に困難を極め、2時間にわたる大手術になりました。術後4日経った今日も、まだ頬の膨れが引いおらず、食べ物もほとんど喉を通りません。今日は礼拝の説教もままならず、兄弟姉妹たちの憐れみを請いながらの奉仕でした。でもマシューいわく、「迫害を受けて殉教していっている世界中の兄弟姉妹に比べたら、こんなの痛いなんて言ってられないよな~。」親知らずを全部抜いても痛みを一切感じず、術後の回復も極めて早かった私には分からない痛みですが、同情する振りだけはしています(笑)。
2009/03/28
世界の兄弟姉妹たちは今
『フォックスの殉教者たちの本("Foxe's Book of Martyers" Bker Book House出版)』は、初代教会から始まって1500年代に至るまで、兄弟姉妹たちがどのように殉教していったかを詳細に記録しており、息を飲みながら読まされますが、キリストにある信仰のゆえに殉教していく兄弟姉妹の数は、この21世紀においても、減るどころか増える一方です。黙示録6章9-11では殉教者数が神によってあらかじめ定められていることが暗示されており、驚かされます。「小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。『聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。』すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、『あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい』と言い渡された。」
最近また、キリストにある信仰のゆえ、迫害され殺されていった兄弟姉妹のニュースが何件かありましたので、そのいくつかをここでご紹介します。神によってあらかじめ定められ、殉教していった兄弟姉妹たちです。キリストにある信仰のゆえに殉教したりすることがない日本やカンボジアでは、他人事のように感じてしまいがちですが、クリスチャンがこれら世界の兄弟姉妹らの苦しみを他人事として捉えてはいけない、聖書的理由があります。それは、兄弟姉妹の苦しみが、キリストの苦しみを具体化し世界に見せるため、また福音の前進のためであり、私たちキリストのからだである教会のためであることを、大変な拷問を受けたパウロのことばを通して、聖書は教えます。
「ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。」―コロサイ1:24
ソマリア―2008年10月27日、2005年に救われイスラム教からキリストに従う者に変えられた、マンサー・モハメッド兄弟(25歳)が、イスラム教過激派によって、キリスト教に改宗した罪で首を切られる公開処刑にされた(Compass Direct News)。
エリトリア―2008年10月から今年1月まで、3人の軍事刑務所に入れられていたクリスチャンらが、拷問最中に死んでいっている(Compass Direct News)。エリトリアでは、現在約3000人のクリスチャンが軍事刑務所に入れられており、背教を迫るための拷問が日常的に行われている。
イラク―2008年11月12日、モスルにおいて、クリスチャンである2人の姉妹が、イスラム教過激派の集団に銃で撃たれ殺された(Persecution.com)。モスルではクリスチャンたちを地域から追い出そうという運動が続いている。
中国―今年2月4日、クリスチャン検事で中国のクリスチャンたちの声でもある高智晟氏が、政府によって誘拐され、以来50日以上行方が分からなくなっている。高兄弟は2007年にも同様に政府によって誘拐され、共産党拘置所において死に近い拷問を50日間受けたことがあり、今回の誘拐は氏を抹殺するための誘拐だったのではと、内部の者たちは心配しているということである。(ChinaAid.com)
アメリカ―今年3月8日、イリノイ州のメリービルにある第一バプテスト教会で、牧師が日曜礼拝の説教中、銃を持った男に接近され、至近距離で撃たれて死亡。(OneNewsNow.com)
これら兄弟姉妹を通して、キリストのからだである教会が更に強められ、キリストが栄光を受けられ、福音が更に前進していることを感謝。と同時に、現在迫害されている兄弟姉妹たちが、御霊によって強められ、主によって与えられた使命を全うすることができるよう、世界の兄弟姉妹たちと共に祈ります。
2009/03/23
タケオ州教会献堂式
「受けるよりも与えるほうが幸いである」―使徒20:35
2009/03/13
死をも覚悟して
ワン・ニュース.comから拝借した、北朝鮮と韓国の国境の写真です。 現在およそ15,000人の亡命した北朝鮮人が、ソウルに在住しているそうですが、何と最近、その亡命した人の中で、救われ、「地下大学」なる学校で聖書の勉強をし、母国に福音を携えて戻る人がいるそうです(one news now.com、3月3日記事より)。一度国外に亡命した者が国に戻るということだけでも大変なことであるのに、キリストの福音を伝えるとなると、死は確実であるこの国で、主は素晴らしいみ業を成しておられます。私たちものんびりしてはおられない、そんな風に思わされるようなニュースです。主に益々栄光!「わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。…彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。…彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。…またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」マタイ10:16‐22
「イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。」へブル13:12,11
2009/03/11
結婚6年目
10日は私たちの6年目の結婚記念日でした。主の憐れみで今日まで来ることができたことを心から感謝します。最近読んだ本、「キリストが死ぬために来られた50の理由("50 Reasons Why Christ Came to Die")」(著者ジョン・パイパー師)の、35章「キリストが苦しんで死なれたのは…結婚にその最も深い意味を持たせるため」の中で、結婚の、結婚を創造された神の、キリストを通して明らかにされた、その深い意図が書かれてあり、結婚する直前に色々教えられたはずなのですが、結婚6年目にして(!)、その深い意味を改めて(恥ずかしながら…)教えられつつあります。まだまだ聖書で言われるところの基準からは程遠いですが、主の助けを仰ぎつつ、マシューはキリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように妻を愛すること、私は教会が主に仕えるように、夫に仕えることを、教えられています。私たちの結婚を通して、主が意図されたその結婚の意味が、顕著にあらわされますように。「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」―エペソ5:25
聖書にある神の結婚に対する意図は、キリストがご自身の民を愛されたように、夫も妻を愛すること、そしてキリストの民が主に応答しなければならないように、妻も夫に応答すると表現されている。その描写はキリストをこの世に遣わされた時から、神のご計画の中にあった。キリストは主の花嫁のために来られ、結婚のあるべきかたちを見せるために、ご自分の花嫁のために死なれたのである。
いや、その類似のポイントは、夫が妻らの手によって苦しまなければならないということではない。ある意味イエスに起こったということで、それは本当である。主は民―花嫁―をつくり上げるため、苦しまれた、そしてその民の中には、主の苦しみを起こした者たちもいる。そして主の悲しみのほとんどは、弟子たちが主を見捨てたためであった(マタイ26:56)。しかし類似のポイントは、イエスは彼らを死に至るまで愛され、彼らを退けられなかったことにある。
神の結婚に対する意図は、アダムとエバの結婚の前に、キリストの来臨にあった。私たちはこれを知っている、なぜならキリストの使徒が結婚の奥義を説明したとき、聖書の最初まで戻って、創世記2:24を引用し、「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」と言い、その次の文章で、つい先ほど引用したものを解釈してこのように言うのである―「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです」(エペソ5:31-32)と 。
それは、神のご計画の中で結婚は、キリストの、ご自身の民との関係を見せることを最初から意図されていた、という意味である。結婚が「奥義」だと言われている理由は、結婚の目的が、キリストの来臨まではっきり啓示されていなかったからである。これで私たちは、結婚がご自身の民に対するキリストの愛を、この世でもっとはっきりさせるために造られたものだ、ということが分かる。
これがはじめから神のご計画のうちにあったということは、死に立ち向かわれたとき、キリストのご計画のうちにもあった。主はご自身の苦難の多くの意図のうちに、結婚の深い意味を明白にすることがあったことを、知っておられた。主のすべての苦しみは、特に夫に対するメッセージが含まれていた―このようにすべての夫が妻を愛すべきである、と。
神ははじめに、結婚がみじめなものになるとは意図されなかったが、ほとんどの結婚がみじめである。罪がそうさせるのだ。罪は私たちを互いに悪くあしらわせる。キリストはそれを変えるために苦しまれて死なれた。妻たちはこの変革に彼女たち自身の義務がある。しかしキリストは特別な任務を夫たちに与えられる。それゆえ聖書は言う、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」(エペソ5:25)と。 夫らはキリストではない。しかし彼らは主の似姿になるようにと召されている。そしてその似姿の特別な点は、脅迫や虐待なしに、妻の益のために苦しむ用意ができている、というものである。これは外からくる暴力から妻を守るため、苦闘することと同時に、妻からでさえも来る失望や虐待と苦闘することを含む。このような愛はキリストが、夫と妻のために死なれたゆえ、可能である。彼らの罪は赦された。罪のために二人のどちらかがどちらかを苦しませる必要はないのである。キリストがその苦しみを背負ってくださった。ゆえに、二人の赦された罪人として、私たちは悪を善に変えることができる。(pp.88-89, ブログ者訳)
2009/03/05
まことの慰め主
2009/03/02
2009/03/01
主は近くにおられる
両親来訪の際に出席した、カンポット教会の礼拝の風景です。主要なメンバーが全員参加すると、私たち家族を入れて10人になりますが、全員揃うことはほとんどありません。礼拝に一人も来ないときも、たまにあります。礼拝を持つ自由のない、世界中に散在している兄弟姉妹のことを、良く思います。以前読んだジョン・パイパー師(ベツレヘム・バプテスト教会牧師)の、『キリストの受難―キリストが死ぬために来られた50の理由(the Passion of Christ:50 Reasons Why Christ Came to Die)』という本の中で、礼拝に関して、大変励まされるメッセージがありました。ご自身をさして、イエスは言われた、「あなたがたに言いますが、ここに宮[神殿]より大きな者がいるのです。」(マタイ12:6)と。神殿はまれに、神の栄光が聖所を満たすとき、神の宿所となった。しかし聖書はキリストのことをこのように言う、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ2:9)神の臨在はイエスの上に宿ったり離れたりはしない。私たちが主にお会いするとき、神にお会いするのである。
神は神殿で、様々な不完全な人間の仲介者を通して、人々と会われた。しかし今や、キリストのことについて、このように言われる、「神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです」(1テモテ2:5)と。もし私たちが礼拝で神とお会いするとしたら、私たちは行くのはただ一か所だけ、イエス・キリストである。キリスト教はイスラム教やユダヤ教のように地理的中心地はない。
イエスが一度、姦淫を犯していた女性を問い詰められたとき、女性は主題を変えて言った、「私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」イエスは横道にそれた彼女の後について、「…あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」地理が問題ではない。それでは何か?イエスは続けられる、「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」(ヨハネ4:20-23)
主はその領域全体を変えられる。この山においてではなく、その都市においてでもない、霊とまことによって、である。主は地理的限界を打破するために、この世に来られた。神殿は今やない。エルサレムは中心地ではない。キリストがおられる。私たちは神を拝したいだろうか?イエスは言われる、「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と。私たちは神を受け入れたいだろうか?イエスは言われる、「わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです」(マタイ10:40)と。私たちは礼拝の中で、神のご臨在に与りたいだろうか?聖書は言う、「御子を告白する者は、御父をも持っているのです」(1ヨハネ2:23)と。私たちはみ父を敬いたいだろうか?イエスは言われる、「子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません」(ヨハネ5:23)と。キリストが死んでよみがえられたとき、古い神殿は、世界的に到達できるキリストにとって代わった。あなたは筋肉を動かさずに主のみものとに来ることができるのである。主は信仰と同じくらい近くにおられる。(ブログ者訳)
キリストが、礼拝を自由に持つことのできない世界中に散在している兄弟姉妹たちの間で、神に謁見する場所になっておられることを心から感謝。今日も、日の昇るところからその沈むところまで、世界中で霊とまことをもって礼拝する者たちの間で、主のみ名が崇められています。
2009/02/24
クメール・ルージュ裁判開始
長い間滞っていましたクメール・ルージュ裁判が、国連監視の下、今日から開始しました。写真はプノンペン・ポストから拝借した、裁判第一番目の被告、カイン・グエック・イエウ(通称ドーイッ)です。ポル・ポト戦争当時、16,000人以上を拷問、殺害していった、トールスレン(S-21)収容所の監督を務めましたが、実は戦後救われ、約10年前に自首、刑務所生活を続けてきました。今回裁判を受ける他の4人の被告たちと違い、大虐殺に加担したことを認め、被害者の残された家族らに謝罪しているということです。他の被告らが罪を全く認めていない中、クリスチャンであるということで、ポル・ポト戦争中、オンカー(クメール・ルージュの組織)の中で何が起こっていたか、内部の詳しい実態を聞けるのではないかと、注目されています。ドーイッ兄弟、この世で犯した罪の償いはしなければなりませんが、キリストに信頼するものであるがゆえ、創造主のさばきのみ座における判決は、キリストにあって、すでに恩赦、永遠のいのちを受けています。この裁判期間中、クリスチャンであるこのドーイッさんの内にあるキリストの光が、賄賂の飛び交っている腐敗した裁判の中で、明けの明星のように光り輝くよう祈っています。2009/02/22
2009/01/30
神がつくられるもの
2009/01/28
主の道は高く
「天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:9)と聖書にあるよう、主の成されるみ業は、すべて人知を超えており、私たちはただただ圧倒されてしまいますが、最近読んだ本の中でまた圧倒されてしまった証しを、主が近年世界で成しておられるみ業の一つとしてご紹介します。「1930年代、日本軍の侵攻によって、数多くの、今でいうところ北朝鮮の朝鮮人が逃亡した。そのうちのほとんどがウラジオストック近郊に居留した。1930年から1940年代、スターリンが武器の生産の中心地としてウラジオストックの開発を始めた際、この朝鮮人が安全保障に危機をもたらす可能性があると考え、彼等をソビエト連邦国の5地域に移動させた。そのうちの一つがタシケント、ウズベキ人と呼ばれる大変敬虔なイスラム教徒の中心地であった。二千万人以上の人口のウズベキ人たちであるが、西欧のキリスト教の紹介を何百年も激しく拒否してきた人々である。
朝鮮人たちがタシケントに移住、ウズベキ人たちはその勤勉さと親切さに彼らを快く迎え入れた。数十年のうちに、朝鮮人はウズベキスタンの文化的生活のほとんどの分野で受け入れられるようになった。
全世界の出来事を統制される神が、この移住させられた朝鮮人の中に一握りの強いクリスチャンたちが含まれるようご計画になったのである。恐らくスターリンはこの朝鮮人が激しい炎のリバイバルを同民族の間で楽しむだけでなく、イスラム教徒のウズベキ人、カザフ人である友人たちをキリストに導くようになるとは、思いもしなかったであろう。
最初の朝鮮人のリバイバルと周囲のウズベキ人、カザフ人にもたらした影響が公に見られるようになったのは、ソビエトの史上初、中央アジアで最初の野外のキリスト教集会が持たれ、若いアメリカからやってきた韓国人がカザフスタンの首都、アルマータで大会衆に福音を語った1990年6月2日のことである。」(Bill and Amy Stearns, Catch the Vision 2000, pp12-13)(ブログ者訳)
2009/01/27
旧正月
写真はプノンペン・ポスト(The Phnom Penh Post)から拝借した獅子舞です。 26,27日は旧正月、カンボジアでは公休日ではないのですが、華僑の多い特にプノンペンでは、ほとんどの学校とビジネスが閉鎖になります。ここカンポットでも、実は水電力開発のため約2,000人の中国人が在留しているそうで、市街で旧正月を盛大に祝っていました。先々週、香港から宣教師として派遣されプノンペンに在住の友人たちに、カンポットの中国人人口の話をしたら、興奮して、「新しい宣教地だ!」と言っていました。来月あたり、中国人宣教師たちが揃ってカンポットを訪れる予定で、中国人伝道が始まりそうです。カンポットの全ての人に福音を!-私たちの毎日の祈りです。
2009/01/23
カンボジアのベトナム人
以前もこのブログで紹介したことがありますが、カンボジアではベトナム人は極端に阻害されており、この聖書学校でさえ、クメール語を話すことができるベトナム人学生たちですが、クメール人学生から一切口をきいてもらえません。「知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれ」る(Iコリ1:27)主が、この少数民族のベトナム人を用いて、カンボジアにキリストの福音を広められるであろうことを信じてやみません。
2009/01/19
CBIベトナム人牧師育成コース
2009/01/09
2009/01/05
2009/01/01
キリストの福音にふさわしい生活
ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。(ピリピ1:27)
です。恐らく一生をかけて追及するみことばになると思いますが、今年一年、このみことばに一歩だけでも近づくことができるよう、主の御霊の助けを仰ぎます。皆様の2009年も収穫の一年になりますように。
2008/12/30
主は情け深く、あわれみ深く、
写真は近所のタックチュー川の夕焼けです。
この一年を振り返り、あらためて、主のその深い情けとあわれみを体験することのできた一年であったと、一文でまとめることができます。良きものを受けるにふさわしくないものであるにも関わらず、あらゆる良きもので私たちを満たして下さる主に、心からの感謝をささげます。来る年もさらに深く、主のすばらしさを味わい、見つめ、主に身を避けるものでありたい(詩篇34:8)と、上からの助けを仰ぎます。
皆様もこの一年、主の深い情けと憐れみ、恵みを体験されたことと思います。2008年、カンボジア宣教、世界宣教のためにお祈りくださった皆様の上に、主が更に、主の宣教のために祈り続ける忍耐を、来る年もお与えくださるよう祈ります。主に栄光。よいお年をお迎えください。
2008/12/29
アンドリュー君の突然死
2008/12/28
2008/12/15
マシューの父召天
この数か月、お祈りくださった多くの方々に、主が皆様の祈りにこたえて下さったことを、謹んでご報告、御礼申し上げます。
2008/11/29
2008/11/27
教団理事会宣教師団代表者合同会議
「昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。」マタイ5:22
2008/11/22
諸国民のうちを望み見て
「諸国民のうちを望み見て、驚け、そして怪しめ。わたしはあなたがたの日に一つの事をする。人がこの事を知らせても、あなたがたはとうてい信じまい。」―ハバクク1:5数か月前にはインドのオリッサでクリスチャンに対する激しい迫害が起こったり、米国各地ではクリスチャンたちが同性愛者から迫害を受けるなど、欧米諸国に関わらずクリスチャンに対する迫害は益々拡大しているこの頃ですが、それと同時に膨大な数の人々が日々救われているのは、日本ではあまり耳にしません。迫害レベルでは50カ国中世界第1位に位置づけられているイランでは、イスラム教からキリスト教に改宗した者と改宗させた者が暗殺されているのは日常茶飯事、アッセンブリー教団牧師も既に数人殺害されていますが、実は、政府が汚職で取り入れたサテライトテレビのキリスト教番組を見ている人が、何と人口の70%、聖書訓練の番組を見ている人が40%、という統計が出てきました("Mission Frontiers"9-10月号より)。番組を見て救われたという人が多く、地下教会が急速に成長、政府の取り締まりが追い付かないそうです。事実、カンボジアの隣、タイのバンコクの教団国際教会では、宗教亡命を求めたイラン人が教会の大半を占めているそうで、ファーシ語(イラン語)礼拝を持っているという話を、国際教会牧師から伺ったことがあります。迫害はクリスチャンがキリストの似姿につくりかえられるための主のみ業、宣教師が入っていけないような国で救われる人が起こされるのも主のみ業、主の御名は誉むべきかな!
2008/11/20
生きるのも死ぬのも主のため
義父ですが、衰弱し寝たきりの生活になりました。会話もほとんどできなくなっていますが、義母いわく、「主から与えられたこの道を走りぬきたい」と言っているということでした。死を前にしてそのように思うことができるのは、何と幸いなことだろうと思います。果てしなく自己中心の私たちが、「生きるのも死ぬのも主のため」と言うことができるのは、主のみ業以外何ものでもありません。義母が霊的にも肉体的にも支えられていることに、格別な主の憐れみを見ています。主に栄光をお返しつつ、再度、お祈りくださっている皆様に、このブログをかりて、ご報告申し上げます。
「わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしていも死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」―ローマ14:8
2008/11/18
2008/11/14
水祭り
2008/11/05
人間をとる漁師
様々な経路を通してカンボジアに数か月前に到着した、日本、韓国、中国からのクリスチャンが、先週末、休暇を利用して、私たちを訪ねてカンポットに来て下さいました。それぞれ目指している方向は違いますが、目的はただ一つ、主キリストの福音を世界に出て行って宣べ伝えることです。主がそれぞれに成されているみ業の証しを伺いながら、胸が熱くなりました。「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ。」(ルカ5:10)のペテロに語られた主のみことばから伺うことができるように、主は今日も世界中で「人間をとる漁師」たちを起こされています。罪深い、主のみことばに従うことが不可能な私たちの心を新しくつくり変え、主に仕えたいという思いを起こされるのは、まさしく主のみ業です。日の出る所から没する所まで、国々のうちで主のみ名はあがめられています(マラキ1:11)!
2008/11/03
ペアッカダイさんの証
働き人
2008/10/26
目をあげて畑を見なさい
「あなたがたは、刈り入れ時が来るまでにはまだ四か月あると言っているではないか。しかし、わたしはあなた方に言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。」(ヨハネ4:36)
のみことばを思い出しました。昨日タケオ州の牧師夫妻が、洗礼式の帰りに、受洗した20人の若者たちを連れて私たちを訪問してくださったのですが、実はその牧師夫妻、去年からカンポット州の北部で伝道を始めたとのこと、既に4つの群れができており、今回受洗した若者たちもそのうちの1つだというのです。「私は何もしないのですが、若者たちが友人をどんどん連れてくるんですよ。あっという間に群れができてしまいました。」と牧師が笑いながら話してくださいました。まさに、畑は「はや色づいて刈入れを待っている」です。主の成されるそのみ業に感動、あらためてそのみ名を賛美しました。
2008/10/16
タイ国境にて衝突―プレヴィヒア遺跡をめぐって
カンボジアの北、プレヴィヒア州のタイとの国境でタイ軍とカンボジア軍が約一時間衝突、カンボジア兵2人死亡、数人が負傷したとニュースがありました。つい数か月前ユネスコの世界遺産に登録されたプレヴィヒアの遺跡をめぐって、「タイのものである」と怒った政府が7月にプレヴィヒアの遺跡近辺に軍を送ったのが発端で、以来両国間に緊張が走っています。遺跡がユネスコ遺産に登録されるのを見過ごしたタイの前首相は、その後すぐ首相を解任されたほどでした。5年前にも「アンコールワットはタイのものである」とタイ人の女優が言ったということで、激怒したカンボジアの市民がタイ大使館に放火、カンボジア政府がその後タイ大使館を日本大使館と隣接して建て直したのもまだ記憶に新しいのですが、今回はもっと深刻なことが起こりそうな勢いです。タイ大使館は閉鎖、カンボジア国内に滞在しているタイ人たちも国外退去するようにと言われているそうで、国内にタイ人のクリスチャンの友人がいる私たちも心配しています。どうぞ、両国間の紛争にいたらないように、カンボジア国内のタイ人と、タイに出稼ぎに出ているカンボジア人が守られるように、覚えてお祈りください。
2008/10/06
ユリ20か月
最近プノンペンに、バンコクの病院と提携した立派な総合病院ができ、私たちも最初は他の宣教師たちと同様、「見かけは良くても…」と半信半疑だったのですが、予防接種の関係で出かけて見たら、何と小児科医が日本の医学大学で学位を取った、日本人と全く変わらない日本語を話す台湾人でした。沖縄にも住んでいたことがあるそうで、生まれも育ちも沖縄の私ですので、話が盛り上がってしまいました。素晴らしい病院を与えてくださった主に感謝、この小児科医に福音を語る機会が与えられるよう祈っています。
2008/09/30
クメール語訳マンガ“善と悪”
2008/09/29
プチュンバン(盆)
写真左はプノンペンポストから拝借したもので、寺で先祖の霊に捧げものを捧げているところです。15日からプチュンバン、日本でいうところの「お盆」が始まりました。先祖に捧げる贈り物を抱えて、それぞれの故郷に帰省する帰省ラッシュは、公休日の28-30日が最高になります。クリスチャンにとっては、信仰の試される時期です。昨日の礼拝後も、教会員たちが、儀式に参加しないことで受ける様々な迫害を話してくれました。しかし聖書は、「いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。」(IIテモテ3:12)と教えます。私たちが「神に召されていだいている望みがどんなものであるか」、私たちが「つぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか」を、主がカンボジアのクリスチャンたちの「心の目を明らかにして下さ」り見せてくださるように(エペソ1:18)、そしてかん難を乗り越える力を与えて下さるように、と祈っています。
2008/09/22
さめていても眠っていても
2008/09/15
2008/09/11
2008/07/30
国民議会議員総選挙(その六)
2008/07/25
国民議会議員総選挙(その五)
国民議会議員総選挙(その四)
日曜の選挙を控え、選挙運動も過熱しています。カンボジアでは、総選挙の投票はそれぞれの故郷でしなければならず、地方からきた労働者で溢れるプノンペンのほとんどの商業が閉鎖を強いられています。地方はお陰でクメール正月並みの賑やかさです。ここカンポット州も、突然の人口急増に電力が間に合わず、停電を繰り返しています。選挙がどこのメディアもフン・セン首相率いる人民党が間違いなく勝利、今回は特に、123席ある議席の81席を獲得することを予想している、とフン・セン首相が公言していると新聞に載っていました。毎回何百人と死者を出してきたこの総選挙、今回は既に死亡事件が起こっていますが、驚くほど平穏であると、外国系選挙管理団体は言っているそうです。
2008/07/17
タイ国境にて
コッコン州
2008/07/13
迷信
2008/07/01
2008/06/27
国民議会議員総選挙(その三)
カンボジアでは1997年に総選挙があった際、首相候補者のフン・セン氏、ラナリット殿下が同票数獲得したため、二人の首相の連立政権にせざるを得ない結果になり、不服に思ったフン・セン氏が軍隊を率いて武力で反発、プノンペンが戦場のようになった歴史があります。
このフン・セン首相、あまりいい噂は聞きませんが、この人が首相であるがために、キリスト教団体はその活動を大目に見てもらっている事実もあります。主の憐みです。すべての支配、権威、権力、権勢の上におられる主キリスト(エペソ1:21)がカンボジアを憐れんでくださり、ダニエル書のネブカデネザル王のように、創造主を畏れるリーダーを与えて下さるように、と、私たちクリスチャンは祈っています。
国民議会議員総選挙(その二)
国民議会議員総選挙(その一)
2008/06/18
2008/06/12
栄光の望み
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