2009/04/24

キリストの名が新聞記事に

今日の新聞(プノンペン・ポスト)の記事に、「キリスト」の名が掲載されました。ドーイッ被告の裁判が、いよいよ強制収容所S-21の話に移り、クメール・ルージュの実態が徐々に明らかになるかという時、被告が自首に至った理由が、「キリストによるもの」であることを、公の裁判の場で言述したと言うのです(プノンペン・ポスト、4月24日記事)!!クメール・ルージュの一幹部であったフン・セン首相が、裁判にかけられないといけないのではないかという外国メディアの報道を嘲笑し払いのけたそうですが、このカンボジアでは自分の罪を告白する習慣がありません。そういう中、各新聞が、「カンボジア人たちはなぜドーイッ被告が自分の罪を素直に認めているのか理解に苦しんでいる」と報じたのですが、それが「キリストのゆえ」であるとドーイッ被告自身が本日言述、まさに「主に栄光!!!」です。この裁判の模様はラジオで生中継されており、多くのカンボジア人が家庭で、職場でこの中継に真剣に耳を傾けているのですが、今日、キリストの名が、カンボジア全土に響き渡りました。

主に栄光!!!

2009/04/20

猛暑

カンポット州にあるボコー山の麓で、ハイキングをするマシューです。ここ数週間、水遊びがしたくなるような、日中気温39度といううだるような猛暑が続いています。カンボジア生まれで暑さに強い娘も、さすがにこの暑さで、しかも停電が頻繁に起こるため扇風機を使えない時があり、体中にあせもができてしまいました。時折「あっちっち~」とあせもを掻きむしりながら言っています。今日、障害者のために建てられた施設の開所式が近所であり出かけて来たのですが、この暑さにも関わらず、長そでに被りものをしているイスラム教徒の女性たち、さすがに暑そうでした。彼女たちはあせもはできないのだろうか…式最中、そんなことを真剣に考えてしまった私です。

2009/04/19

キリストに従うこと

デザイアリング・ゴッド(DesiringGod.org)のブログで見つけたトラクトです。「繁栄の神学を矯正するトラクト」とタイトルが付けられていました。挿絵の下に、「神はあなたを愛しておられ、あなたの人生のため素晴らしいご計画がおありになる」と説明がされてありますが、絵自体は、ローマ帝国時代に頻繁に行われたクリスチャンの処刑です。つまり、神の私たちクリスチャンに対するご計画は、私たちがこの世の安心や快楽を持つこと、楽な生活を送ることではなく、神だけがお与えになることができる、永遠に続く安心と喜び、楽しみ、つまり、神ご自身であること、そのために神は私たちが依存するこの世のすべてのもの(時には私たちのこの肉体でさえも)を取り除かれる、という意味です。デートリッヒ・ボンヘッファーの本、「キリストに従うこと(the Cost of Discipleship)」を思わせるような絵です。 
だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。いのちを救おうと思う者はそれを失い、わたしと福音とのためにいのちを失う者はそれを救うのです。人は、たとい全世界を得ても、いのちを損じたら、何の得がありましょう。」―マルコ8:34-36

2009/04/12

なぜキリストは苦しんで死なれたのか?

私たちの罪のため十字架にかけられ、死にて葬られ、3日目によみがえられた主イエス・キリストのみ名を崇めます。イースターとは言うものの、なぜキリストが苦しんで死なれたのか、その理由を深く掘り下げて学ぶことは、私たちはあまりありません。度々ご紹介しています、ジョン・パイパー師の「イエス・キリストの受難(the Passion of Jesus Christ)」の第一章で、師はキリストの受難の第一の、そして最も重要な理由は、「神のみ怒りを吸収するため」であると、みことばを通して説明しています。読むと、改めてキリストが成してくださったみ業をほめたたえずにはいられません。このイースターの日、キリストが受けるべき栄光を受けられますように!
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キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。(ガラテヤ 3 : 1 3)

神は、キリスト・イエスを、その血による、また信仰による、なだめの供え物として、公にお示しになりました。それは、ご自身の義を現わすためです。というのは、今までに犯されて来た罪を神の忍耐をもって見のがして来られたからです。(ローマ 3 : 2 5)

私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。(1 ヨハネ4 : 1 0)

(引用)もし神が義であられなかったら、御子が苦しんで死ぬことを要求されなかったであろう。そしてもし神が愛であられなかったら、御子は苦しんで死ぬことをいとわずに喜んでされることはなかったであろう。しかし神はともに義であられ愛であられる。それゆえ主の愛はご自身の義の要求を満たそうと意図される。主の律法は、「心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい」(申命記6:5)と要求する。しかし私たちすべてのものは、神より他のものを愛している。罪とはこれである―神以上に他のものを好み、それらの好みに従って行動することにより、私たちは神を侮辱する。ゆえに、聖書は、「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず、」(ローマ3:23)という。私たちはもっとも楽しいことを称賛する。そしてそれは神ではないのである。
 それゆえ罪は小さくない。なぜならそれは小さい主君者に対して犯すものではないからだ。侮辱の深刻さは、侮辱された方の尊さに値する。天地万物の創造者は、尊敬と賞賛と忠誠を受けるに無限にふさわしいお方である。ゆえに、主を愛さないことは、ささいなことではない―それは反逆罪である。神を中傷し、人類の幸福を破壊する。
 神は義であられるので、天地万物のこれらの犯罪を伏せられない。主は彼らに対し聖なるみ怒りを発せられるのである。彼らは罰せられるにふさわしく、主はこのことを明確にされている、「罪から来る報酬は死です」(ローマ6:23)、「罪を犯した者は、その者が死ぬ」(エゼキエル18:4)と。
 聖なる呪いがすべての罪の上にかかっている―この世が不義であることをさばかない、神の価値を下げることが支持される、偽りが事実の中心を支配する…それゆえ、神は言われる、「律法の書に書いてある、すべてのことを堅く守って実行しなければ、だれでもみな、のろわれる。」(ガラテヤ3:10、申命記27:26)と。
 しかし主の愛は、罪深い人類の上にのしかかっている呪いに安息しない。主はたとえどんなに聖いお方であられても、み怒りを現わすことを喜ばれない。であるから神は、そのみ怒りを吸収させるため、神に信頼するすべての者の呪いを背負うため、ご自身の御子をお送りになったのである。「キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。」(ガラテヤ3:13)これが、前述の引用句(ローマ3:25)にある「なだめの供え物」ということばの意味である。身代わりを与えることによって、神のみ怒りを取り除くということを、表わす。身代わりは神ご自身が備えられる。身代わりのイエス・キリストは、み怒りを取り消すだけでなく、吸収され、そして私たちに向けられていたみ怒りをご自身へとそらされるのである。神のみ怒りは義であり、撤回されることなく出し尽された。
 神を軽くあしらったり、そのご愛を価値のないものにするのはやめよう。私たちの罪の深刻さと、私たちに対する主のみ怒りの義を考慮しない限り、神に愛されることを畏れをもって驚くことはない。しかし、恵みにより、私たちの価値のなさに気づかされる時、キリストの苦しみと死をみて、「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、[神のみ怒りを吸収するための]なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです」(1ヨハネ4:10)と言うであろう。(20-21ページより、ブログ者訳)

2009/04/08

クメール正月と停電

クメール正月がやって参りました。実際の正月は14-16日なのですが、学校も商業も、すでに今週から休暇に入り、カンポット、カエップ州とも帰省客で賑わっています。この休暇ですが、約2週間続きます。カンポット州は都会からの帰省で、突然の人口増加に電力が間に合わないためか、毎年正月の期間はひどい停電が起こります。私たちの住んでいるチョムクリール村では昨日は16時間停電が続き、この猛暑で冷蔵庫のものがすべてダメになってしまうだろうと思っていたのですが、電気が戻ってから冷蔵庫を開けたらまだ冷たい!小さなことでも憐れんでくださる主に、心から感謝しました。

主人の再臨に備えて

写真はプノンペン・ポストから拝借した、タイとの国境で警備をするカンボジア人兵士です。プレヴィヒア州における タイ国境沿いでの兵士同士のにらみ合いが始まって9か月に入りますが、先週3日タイ軍のちょっとしたミスが銃撃戦に至り、タイ側3人の死者を出す事件が起こりました。ベトナムに家族がいる私たちの友人は、カンボジアとタイの間で戦争が起こったら、いつでもカンボジアを支援できるよう、二人の弟が軍に招へいされたと話してくれました。また先週タイ外相が発言したカンボジア首相に関するコメントが首相の気に障ったとか何とかで、両国間の関係の溝を益々深めており、地元のニュースでは両国間で戦争が間もなく始まるのではないか、と人々の恐怖をあおっています。

でもクリスチャンにとっては今のこの時は、恐怖に縛られるときではありません。キリストはこの世の終わりに関して次のように言われます、「民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、…しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。…これらのことすべてを見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」(マタイ24:7、8、33)と。クリスチャンにとってこの世の終わりを思わせるこの不安定な時代は、主人(キリスト)の再臨に備えるときであります。

主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。」(マタイ24:45-47)

2009/04/01

「私は犯したすべての殺人を悔いる」―ドーイッ被告

引き続き行われているクメール・ルージュ裁判ですが、昨日行われた裁判の席で、被告人ドーイッ被告が、「私はポル・ポト政権下で犯したすべての殺人を悔いる」と告白したと、新聞(カンボジア・デイリー)のトップに掲載されていました。「現在、世間一般の人々は私を臆病もの、あるいは人でなしだと、みなしている。私はそれらを正直に、尊重して受け入れたい」と、与えられた約30分間、告白したそうです。主がドーイッ兄に力とことばを与えて下さり、行った罪の告白を、はっきりできるように、それによってキリストの光が放たれるようにと祈って来た私たちですが、兄の裁判の被告席での告白を聞いて、主のみ名を崇めました。国連が、飛び交っている賄賂等の腐敗を止めようとしても埒が明かないような(プノンペン・ポスト参照)、またドーイッ被告以外の被告全員がポル・ポト時代に行った一切の犯罪を否定しているこの裁判で、ドーイッ被告の率直な告白が、人々を驚かせ、戸惑わせています。キリストが、ドーイッ兄の告白を通して益々栄光をお受けになるよう、引き続き祈っています。

2009/03/29

マシュー、親知らずを抜く

木曜日にマシューが下の親知らずを二本抜きました。親知らずが歯肉を破って上に生えておらず、隣接の歯を押しながら横に生えており、アメリカでも、日本でも、歯科医から「早めに抜いたほうがいいよ」と言われていたのですが今日まで残してしまい、ドイツ人のいい歯科医がいると聞き、ようやく抜歯の決意をしたのでした。日本で抜歯をした時も驚かれたのですが、歯そのものが大きいのと、歯根が3つに分かれているため、抜歯に困難を極め、2時間にわたる大手術になりました。術後4日経った今日も、まだ頬の膨れが引いおらず、食べ物もほとんど喉を通りません。今日は礼拝の説教もままならず、兄弟姉妹たちの憐れみを請いながらの奉仕でした。でもマシューいわく、「迫害を受けて殉教していっている世界中の兄弟姉妹に比べたら、こんなの痛いなんて言ってられないよな~。」親知らずを全部抜いても痛みを一切感じず、術後の回復も極めて早かった私には分からない痛みですが、同情する振りだけはしています(笑)。

2009/03/28

世界の兄弟姉妹たちは今

『フォックスの殉教者たちの本("Foxe's Book of Martyers" Bker Book House出版)』は、初代教会から始まって1500年代に至るまで、兄弟姉妹たちがどのように殉教していったかを詳細に記録しており、息を飲みながら読まされますが、キリストにある信仰のゆえに殉教していく兄弟姉妹の数は、この21世紀においても、減るどころか増える一方です。黙示録6章9-11では殉教者数が神によってあらかじめ定められていることが暗示されており、驚かされます。

小羊が第五の封印を解いたとき、私は、神のことばと、自分たちが立てたあかしとのために殺された人々のたましいが祭壇の下にいるのを見た。彼らは大声で叫んで言った。『聖なる、真実な主よ。いつまでさばきを行なわず、地に住む者に私たちの血の復讐をなさらないのですか。』すると、彼らのひとりひとりに白い衣が与えられた。そして彼らは、『あなたがたと同じしもべ、また兄弟たちで、あなたがたと同じように殺されるはずの人々の数が満ちるまで、もうしばらくの間、休んでいなさい』と言い渡された。」

最近また、キリストにある信仰のゆえ、迫害され殺されていった兄弟姉妹のニュースが何件かありましたので、そのいくつかをここでご紹介します。神によってあらかじめ定められ、殉教していった兄弟姉妹たちです。キリストにある信仰のゆえに殉教したりすることがない日本やカンボジアでは、他人事のように感じてしまいがちですが、クリスチャンがこれら世界の兄弟姉妹らの苦しみを他人事として捉えてはいけない、聖書的理由があります。それは、兄弟姉妹の苦しみが、キリストの苦しみを具体化し世界に見せるため、また福音の前進のためであり、私たちキリストのからだである教会のためであることを、大変な拷問を受けたパウロのことばを通して、聖書は教えます。

ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。」―コロサイ1:24

ソマリア―2008年10月27日、2005年に救われイスラム教からキリストに従う者に変えられた、マンサー・モハメッド兄弟(25歳)が、イスラム教過激派によって、キリスト教に改宗した罪で首を切られる公開処刑にされた(Compass Direct News)。

エリトリア―2008年10月から今年1月まで、3人の軍事刑務所に入れられていたクリスチャンらが、拷問最中に死んでいっている(Compass Direct News)。エリトリアでは、現在約3000人のクリスチャンが軍事刑務所に入れられており、背教を迫るための拷問が日常的に行われている。

イラク―2008年11月12日、モスルにおいて、クリスチャンである2人の姉妹が、イスラム教過激派の集団に銃で撃たれ殺された(Persecution.com)。モスルではクリスチャンたちを地域から追い出そうという運動が続いている。

中国―今年2月4日、クリスチャン検事で中国のクリスチャンたちの声でもある高智晟氏が、政府によって誘拐され、以来50日以上行方が分からなくなっている。高兄弟は2007年にも同様に政府によって誘拐され、共産党拘置所において死に近い拷問を50日間受けたことがあり、今回の誘拐は氏を抹殺するための誘拐だったのではと、内部の者たちは心配しているということである。(ChinaAid.com)

アメリカ―今年3月8日、イリノイ州のメリービルにある第一バプテスト教会で、牧師が日曜礼拝の説教中、銃を持った男に接近され、至近距離で撃たれて死亡。(OneNewsNow.com)

これら兄弟姉妹を通して、キリストのからだである教会が更に強められ、キリストが栄光を受けられ、福音が更に前進していることを感謝。と同時に、現在迫害されている兄弟姉妹たちが、御霊によって強められ、主によって与えられた使命を全うすることができるよう、世界の兄弟姉妹たちと共に祈ります。

2009/03/23

タケオ州教会献堂式

共にクメール語を勉強した、私たちの友人でもある韓国人宣教師の、支援しているタケオ州にある教会が、一年以上かかってようやく教会建築が終わったということで、献堂式に参加してきました。広大な田んぼのど真ん中に建った教会です。土地購入と教会堂建築、合わせて38万ドル(日本円で約3,800万円)かかったということでした。土地購入の際の地主とのトラブルと建設会社とのトラブルに加え、カンボジアの不動産の急騰、韓国通貨の下落と世界経済不況に見舞われ、教会堂建築は不可能だと、途中何度もあきらめようとしたのですが、母国の兄弟姉妹らからあきらめないよう説得され、兄弟姉妹が国の不況にも関わらず忠実に献げてくださり、献堂式まで至ることができたのだと、涙ながらに証しをしてくださいました。韓国人の兄弟姉妹たちとの交わりと通して、金銭だけでなく、時間や祈りを「献げることの素晴らしさ」を、私たちはいつも教えられます。

受けるよりも与えるほうが幸いである」―使徒20:35

2009/03/13

死をも覚悟して

ワン・ニュース.comから拝借した、北朝鮮と韓国の国境の写真です。 現在およそ15,000人の亡命した北朝鮮人が、ソウルに在住しているそうですが、何と最近、その亡命した人の中で、救われ、「地下大学」なる学校で聖書の勉強をし、母国に福音を携えて戻る人がいるそうです(one news now.com、3月3日記事より)。一度国外に亡命した者が国に戻るということだけでも大変なことであるのに、キリストの福音を伝えるとなると、死は確実であるこの国で、主は素晴らしいみ業を成しておられます。私たちものんびりしてはおられない、そんな風に思わされるようなニュースです。主に益々栄光!

わたしがあなたがたをつかわすのは、羊をおおかみの中に送るようなものである。…彼らはあなたがたを衆議所に引き渡し、会堂でむち打つであろう。…彼らがあなたがたを引き渡したとき、何をどう言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、その時に授けられるからである。語る者は、あなたがたではなく、あなたがたの中にあって語る父の霊である。…またあなたがたは、わたしの名のゆえにすべての人に憎まれるであろう。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われる。」マタイ10:16‐22

イエスもまた、ご自分の血で民をきよめるために、門の外で苦難を受けられたのである。したがって、わたしたちも、彼のはずかしめを身に負い、営所の外に出て、みもとに行こうではないか。」へブル13:12,11

2009/03/11

結婚6年目

10日は私たちの6年目の結婚記念日でした。主の憐れみで今日まで来ることができたことを心から感謝します。最近読んだ本、「キリストが死ぬために来られた50の理由("50 Reasons Why Christ Came to Die")」(著者ジョン・パイパー師)の、35章「キリストが苦しんで死なれたのは…結婚にその最も深い意味を持たせるため」の中で、結婚の、結婚を創造された神の、キリストを通して明らかにされた、その深い意図が書かれてあり、結婚する直前に色々教えられたはずなのですが、結婚6年目にして(!)、その深い意味を改めて(恥ずかしながら…)教えられつつあります。まだまだ聖書で言われるところの基準からは程遠いですが、主の助けを仰ぎつつ、マシューはキリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように妻を愛すること、私は教会が主に仕えるように、夫に仕えることを、教えられています。私たちの結婚を通して、主が意図されたその結婚の意味が、顕著にあらわされますように。

 夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。」―エペソ5:25

 聖書にある神の結婚に対する意図は、キリストがご自身の民を愛されたように、夫も妻を愛すること、そしてキリストの民が主に応答しなければならないように、妻も夫に応答すると表現されている。その描写はキリストをこの世に遣わされた時から、神のご計画の中にあった。キリストは主の花嫁のために来られ、結婚のあるべきかたちを見せるために、ご自分の花嫁のために死なれたのである。
 いや、その類似のポイントは、夫が妻らの手によって苦しまなければならないということではない。ある意味イエスに起こったということで、それは本当である。主は民―花嫁―をつくり上げるため、苦しまれた、そしてその民の中には、主の苦しみを起こした者たちもいる。そして主の悲しみのほとんどは、弟子たちが主を見捨てたためであった(マタイ26:56)。しかし類似のポイントは、イエスは彼らを死に至るまで愛され、彼らを退けられなかったことにある。
 神の結婚に対する意図は、アダムとエバの結婚の前に、キリストの来臨にあった。私たちはこれを知っている、なぜならキリストの使徒が結婚の奥義を説明したとき、聖書の最初まで戻って、創世記2:24を引用し、「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」と言い、その次の文章で、つい先ほど引用したものを解釈してこのように言うのである―「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです」(エペソ5:31-32)と 。
 それは、神のご計画の中で結婚は、キリストの、ご自身の民との関係を見せることを最初から意図されていた、という意味である。結婚が「奥義」だと言われている理由は、結婚の目的が、キリストの来臨まではっきり啓示されていなかったからである。これで私たちは、結婚がご自身の民に対するキリストの愛を、この世でもっとはっきりさせるために造られたものだ、ということが分かる。
 これがはじめから神のご計画のうちにあったということは、死に立ち向かわれたとき、キリストのご計画のうちにもあった。主はご自身の苦難の多くの意図のうちに、結婚の深い意味を明白にすることがあったことを、知っておられた。主のすべての苦しみは、特に夫に対するメッセージが含まれていた―このようにすべての夫が妻を愛すべきである、と。
 神ははじめに、結婚がみじめなものになるとは意図されなかったが、ほとんどの結婚がみじめである。罪がそうさせるのだ。罪は私たちを互いに悪くあしらわせる。キリストはそれを変えるために苦しまれて死なれた。妻たちはこの変革に彼女たち自身の義務がある。しかしキリストは特別な任務を夫たちに与えられる。それゆえ聖書は言う、「夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい」(エペソ5:25)と。 夫らはキリストではない。しかし彼らは主の似姿になるようにと召されている。そしてその似姿の特別な点は、脅迫や虐待なしに、妻の益のために苦しむ用意ができている、というものである。これは外からくる暴力から妻を守るため、苦闘することと同時に、妻からでさえも来る失望や虐待と苦闘することを含む。このような愛はキリストが、夫と妻のために死なれたゆえ、可能である。彼らの罪は赦された。罪のために二人のどちらかがどちらかを苦しませる必要はないのである。キリストがその苦しみを背負ってくださった。ゆえに、二人の赦された罪人として、私たちは悪を善に変えることができる。(pp.88-89, ブログ者訳)

2009/03/05

まことの慰め主

近所のタックチュー川の夕焼けです。宣教師仲間から今日、このカンボジアで7,8年宣教して、2年前に母国に帰国したアッセンブリー教団の元宣教師が、昨日自殺したという連絡がありました。子供が3人いる、私たちも良く知っている家族でした。長男の大学進学に合わせて母国に帰ったのですが、以来うつ病になっていたそうです。「なぜ?」という言葉にならない驚きが、教団宣教師たちの間を走っています。残された一家のことを思うと、心が痛みます。恵み深く、憐れみに富みたもう主のみ、私たちにまことの慰めを与えることのできるお方です。主のご栄光が、このことを通してご家族の上に現されますようにと、兄弟姉妹と共に祈ります。

2009/03/02

罪と人間の性質

聖書学校の授業の代行を頼まれ、今日から3日間、マシューが4年生のクラスを担当します。科目は「罪と人間の性質」。主の啓示が主が創造されたすべてのものと、みことばに現されているにも関わらず、その真理を拒否する人間の、完全に堕落した性質は、肉によっては理解することはまずありません。御霊が学生たちの目を開いてくださるよう、それによって、私たち被造物すべてに対する主の憐れみが益々顕著になり、学生たちが跪いて主を礼拝するよう、祈ります。

2009/03/01

主は近くにおられる

両親来訪の際に出席した、カンポット教会の礼拝の風景です。主要なメンバーが全員参加すると、私たち家族を入れて10人になりますが、全員揃うことはほとんどありません。礼拝に一人も来ないときも、たまにあります。礼拝を持つ自由のない、世界中に散在している兄弟姉妹のことを、良く思います。以前読んだジョン・パイパー師(ベツレヘム・バプテスト教会牧師)の、『キリストの受難―キリストが死ぬために来られた50の理由(the Passion of Christ:50 Reasons Why Christ Came to Die)』という本の中で、礼拝に関して、大変励まされるメッセージがありました。

ご自身をさして、イエスは言われた、「あなたがたに言いますが、ここに宮[神殿]より大きな者がいるのです。」(マタイ12:6)と。神殿はまれに、神の栄光が聖所を満たすとき、神の宿所となった。しかし聖書はキリストのことをこのように言う、「キリストのうちにこそ、神の満ち満ちたご性質が形をとって宿っています。」(コロサイ2:9)神の臨在はイエスの上に宿ったり離れたりはしない。私たちが主にお会いするとき、神にお会いするのである。
 神は神殿で、様々な不完全な人間の仲介者を通して、人々と会われた。しかし今や、キリストのことについて、このように言われる、「神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです」(1テモテ2:5)と。もし私たちが礼拝で神とお会いするとしたら、私たちは行くのはただ一か所だけ、イエス・キリストである。キリスト教はイスラム教やユダヤ教のように地理的中心地はない。
 イエスが一度、姦淫を犯していた女性を問い詰められたとき、女性は主題を変えて言った、「私たちの先祖は、この山で礼拝しましたが、あなたがたは、礼拝すべき場所はエルサレムだと言われます。」イエスは横道にそれた彼女の後について、「…あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」地理が問題ではない。それでは何か?イエスは続けられる、「真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」(ヨハネ4:20-23)
 主はその領域全体を変えられる。この山においてではなく、その都市においてでもない、霊とまことによって、である。主は地理的限界を打破するために、この世に来られた。神殿は今やない。エルサレムは中心地ではない。キリストがおられる。私たちは神を拝したいだろうか?イエスは言われる、「わたしを見た者は、父を見たのです」(ヨハネ14:9)と。私たちは神を受け入れたいだろうか?イエスは言われる、「わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです」(マタイ10:40)と。私たちは礼拝の中で、神のご臨在に与りたいだろうか?聖書は言う、「御子を告白する者は、御父をも持っているのです」(1ヨハネ2:23)と。私たちはみ父を敬いたいだろうか?イエスは言われる、「子を敬わない者は、子を遣わした父をも敬いません」(ヨハネ5:23)と。キリストが死んでよみがえられたとき、古い神殿は、世界的に到達できるキリストにとって代わった。あなたは筋肉を動かさずに主のみものとに来ることができるのである。主は信仰と同じくらい近くにおられる。(ブログ者訳)

キリストが、礼拝を自由に持つことのできない世界中に散在している兄弟姉妹たちの間で、神に謁見する場所になっておられることを心から感謝。今日も、日の昇るところからその沈むところまで、世界中で霊とまことをもって礼拝する者たちの間で、主のみ名が崇められています。

2009/02/24

クメール・ルージュ裁判開始

長い間滞っていましたクメール・ルージュ裁判が、国連監視の下、今日から開始しました。写真はプノンペン・ポストから拝借した、裁判第一番目の被告、カイン・グエック・イエウ(通称ドーイッ)です。ポル・ポト戦争当時、16,000人以上を拷問、殺害していった、トールスレン(S-21)収容所の監督を務めましたが、実は戦後救われ、約10年前に自首、刑務所生活を続けてきました。今回裁判を受ける他の4人の被告たちと違い、大虐殺に加担したことを認め、被害者の残された家族らに謝罪しているということです。他の被告らが罪を全く認めていない中、クリスチャンであるということで、ポル・ポト戦争中、オンカー(クメール・ルージュの組織)の中で何が起こっていたか、内部の詳しい実態を聞けるのではないかと、注目されています。ドーイッ兄弟、この世で犯した罪の償いはしなければなりませんが、キリストに信頼するものであるがゆえ、創造主のさばきのみ座における判決は、キリストにあって、すでに恩赦、永遠のいのちを受けています。この裁判期間中、クリスチャンであるこのドーイッさんの内にあるキリストの光が、賄賂の飛び交っている腐敗した裁判の中で、明けの明星のように光り輝くよう祈っています。

2009/02/22

ユリの祖父母来訪

私の両親と姉弟が、成長したユリを見に、暑い暑いカンボジアに来訪しました。約1年半ぶりの再会です。最初は少し人見知りをしていたユリも、「じいちゃん、ばあちゃん」とおじいちゃんおばあちゃんに、すぐなつきました。正味3日間という短かい期間でしたが、内容の濃い3日間でした。寒い日本から、30度以上も越えるこのカンボジアへやってきて、あまりの気温差に体が驚いたのではないかと思います。遠くから来てくれてありがとう!

2009/01/30

神がつくられるもの

私たちの住んでいるチョムクリール村、小さな村ですが、カンボジアの中でも、塩の生産で大変有名です。近所にある数千ヘクタールという広大な塩田で、この乾季に、年間数万トンという塩が収穫され、カンボジアの各地に配送されて行きます。雨季が終わる10月頃から作業を開始、海水を塩田に閉じ込め、乾燥させ、浮き上がった塩を掻き集め、倉庫に保存する、すべて手作業です。この収穫方法、今ではここカンボジアでしか用いられていないそうです。私たちもいつもこの近所で塩を買っていますが、市販の塩と味が違います。塩のなかにまろみが入っているような、とてもなめらかな味で、一度使い始めると、市販の塩がおいしくなくなってしまうほどです。「神が造られた物はみな良い物で、感謝して受けるとき、捨てるべき物は何一つありません。」(Iテモテ4:4)とは、まことにその通りです。

2009/01/28

主の道は高く

天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:9)と聖書にあるよう、主の成されるみ業は、すべて人知を超えており、私たちはただただ圧倒されてしまいますが、最近読んだ本の中でまた圧倒されてしまった証しを、主が近年世界で成しておられるみ業の一つとしてご紹介します。

 「1930年代、日本軍の侵攻によって、数多くの、今でいうところ北朝鮮の朝鮮人が逃亡した。そのうちのほとんどがウラジオストック近郊に居留した。1930年から1940年代、スターリンが武器の生産の中心地としてウラジオストックの開発を始めた際、この朝鮮人が安全保障に危機をもたらす可能性があると考え、彼等をソビエト連邦国の5地域に移動させた。そのうちの一つがタシケント、ウズベキ人と呼ばれる大変敬虔なイスラム教徒の中心地であった。二千万人以上の人口のウズベキ人たちであるが、西欧のキリスト教の紹介を何百年も激しく拒否してきた人々である。
 朝鮮人たちがタシケントに移住、ウズベキ人たちはその勤勉さと親切さに彼らを快く迎え入れた。数十年のうちに、朝鮮人はウズベキスタンの文化的生活のほとんどの分野で受け入れられるようになった。
 全世界の出来事を統制される神が、この移住させられた朝鮮人の中に一握りの強いクリスチャンたちが含まれるようご計画になったのである。恐らくスターリンはこの朝鮮人が激しい炎のリバイバルを同民族の間で楽しむだけでなく、イスラム教徒のウズベキ人、カザフ人である友人たちをキリストに導くようになるとは、思いもしなかったであろう。
 最初の朝鮮人のリバイバルと周囲のウズベキ人、カザフ人にもたらした影響が公に見られるようになったのは、ソビエトの史上初、中央アジアで最初の野外のキリスト教集会が持たれ、若いアメリカからやってきた韓国人がカザフスタンの首都、アルマータで大会衆に福音を語った1990年6月2日のことである。」(Bill and Amy Stearns, Catch the Vision 2000, pp12-13)(ブログ者訳)

2009/01/27

旧正月

写真はプノンペン・ポスト(The Phnom Penh Post)から拝借した獅子舞です。 26,27日は旧正月、カンボジアでは公休日ではないのですが、華僑の多い特にプノンペンでは、ほとんどの学校とビジネスが閉鎖になります。ここカンポットでも、実は水電力開発のため約2,000人の中国人が在留しているそうで、市街で旧正月を盛大に祝っていました。

先々週、香港から宣教師として派遣されプノンペンに在住の友人たちに、カンポットの中国人人口の話をしたら、興奮して、「新しい宣教地だ!」と言っていました。来月あたり、中国人宣教師たちが揃ってカンポットを訪れる予定で、中国人伝道が始まりそうです。カンポットの全ての人に福音を!-私たちの毎日の祈りです。

2009/01/23

カンボジアのベトナム人

通訳者のヴァンナー先生です。一般のNGOで働いていたところを、アッセンブリー教団宣教師によって発掘され、CBIベトナム人牧師育成コースの通訳者として働くようになりました。とても勉強熱心な先生です。

以前もこのブログで紹介したことがありますが、カンボジアではベトナム人は極端に阻害されており、この聖書学校でさえ、クメール語を話すことができるベトナム人学生たちですが、クメール人学生から一切口をきいてもらえません。「知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれ」る(Iコリ1:27)主が、この少数民族のベトナム人を用いて、カンボジアにキリストの福音を広められるであろうことを信じてやみません。

2009/01/19

CBIベトナム人牧師育成コース

昨年から開設した、CBI(カンボジアアッセンブリー教団聖書学校)のベトナム人牧師育成コースの学生たちです。今日から一週間、マシューはこの学生たちに、モーセ五書を教えます。7人と少数ですが、この学生たち、既にカンボジアでベトナム人教会を牧会しています。ベトナムにいると自由に聖書の勉強ができないため、この自由が与えられていることを心から主に感謝する学生たちです。授業中も必死で講義に耳を傾けます。

2009/01/09

キリストに従うもの

近所のイスラム教徒村でトラクトを配るマシューです。昨今、世界情勢の影響で、イスラム教徒伝道も益々困難を極めていますが、主にできないことは何一つありません。この村から、キリストに従うもの、主を恐れるものを、主が起こして下さるよう、不可能なことが何一つない主に期待して、今年も祈り続けていきたいと思います。

2009/01/05

マシューの家族来訪

年明け早々、義母と義弟が、義父の遺品や告別式の様子を撮ったビデオを抱えて、カンボジアに来訪しました。義父の告別式ですが、告別式と呼ばずに、「卒業式」と称し、約250人参列の下、義父のみ国への帰国を盛大に祝うことができました。キリストが中心の、主の慰めと義父の永遠の癒しを喜ぶ喜びに満ち溢れた式となり、未信者に素晴らしい証しとなりました。

家族一同、改めて、義父の癒しのためお祈り下さった皆様に心から御礼を申し上げます。

2009/01/01

キリストの福音にふさわしい生活

主の恵みと憐れみのうちに、 2009年を迎えました。新年のご挨拶を申し上げます。昨年一年は、特に、「キリストの福音」がいかに輝く神のみ業の栄光であるかを、主が私たちに教えて下さいました。年末、近所の黄金に輝く稲の収穫を見ながら、主がこの2009年も霊的な意味での収穫の年、すなわち、更にキリストご自身の価値、私たちの賜った永遠のいのちの価値を見せてくださるようにと祈らされました。今年一年のみことばは、

ただ、キリストの福音にふさわしく生活しなさい。(ピリピ1:27)

です。恐らく一生をかけて追及するみことばになると思いますが、今年一年、このみことばに一歩だけでも近づくことができるよう、主の御霊の助けを仰ぎます。皆様の2009年も収穫の一年になりますように。

2008/12/30

主は情け深く、あわれみ深く、

主は情け深く、あわれみ深く、怒るのにおそく、恵みに富んでおられます。主はすべてのものにいつくしみ深く、そのあわれみは、造られたすべてのものの上にあります。―詩篇145:8,9

写真は近所のタックチュー川の夕焼けです。
この一年を振り返り、あらためて、主のその深い情けとあわれみを体験することのできた一年であったと、一文でまとめることができます。良きものを受けるにふさわしくないものであるにも関わらず、あらゆる良きもので私たちを満たして下さる主に、心からの感謝をささげます。来る年もさらに深く、主のすばらしさを味わい、見つめ、主に身を避けるものでありたい(詩篇34:8)と、上からの助けを仰ぎます。

皆様もこの一年、主の深い情けと憐れみ、恵みを体験されたことと思います。2008年、カンボジア宣教、世界宣教のためにお祈りくださった皆様の上に、主が更に、主の宣教のために祈り続ける忍耐を、来る年もお与えくださるよう祈ります。主に栄光。よいお年をお迎えください。

2008/12/29

アンドリュー君の突然死

タケオ州で牧会しておられるロター先生の長男、アンドリュー君(3歳)が、27日にオートバイに轢かれて亡くなりました。先生ご夫妻が教会のクリスマス会で外出している最中の出来事でした。つい先日、お父さんお母さんに連れられて私たちの所に遊びに来てくれた時の、娘のブランコにのって喜んでいたあの笑顔が忘れられません。ロター先生ご夫妻とも、告別式で泣き崩れておられました。私たちも何と言って慰めていいか、言葉が見つかりませんでした。いのちの儚さを、先日の義父の召天と合わせて思わされている今日この頃です。

まことの慰め主であられる御霊の深い慰めがご家族にあるよう、教会の兄弟姉妹と共に祈っています。

2008/12/28

クリスマス会

12月を師走とはよく言ったもので、あっという間に過ぎてしまいました。カンポット教会では教会での大きなクリスマス会はせず、今回は伝道目的で、28日に教会の近所の空き地で映画上映会をしました。上映したのは「希望」という、主の創造からキリストのよみがえりまでを描いた映画です。近所の大人から子供まで、約150人が集まりました。この中から教会に導かれる人が起こされますように。

2008/12/15

マシューの父召天

マシューの父、ノーラン・エイカース(享年71歳)が、米国時間今日午前3時15分、主の御許に帰りました。4月に神経膠腫という悪性の脳腫瘍が発見され、末期と診断されてからも、変わらず出会う医療関係者や知人に福音を語り続けていた義父ですが、主のおゆるしで、永遠の癒しを受けました。結婚生活47年、娘3人と息子2人に恵まれ、そして、米国アッセンブリー教団の牧師として46年、主に仕える恵みを与えられました。義父のいるところには笑いが絶えませんでした。しばしの間、会えなくなり寂しくなりますが、永遠という時の中で再会できる日を、家族一同心待ちにしています。

この数か月、お祈りくださった多くの方々に、主が皆様の祈りにこたえて下さったことを、謹んでご報告、御礼申し上げます。

2008/11/29

カンボジア涼気到来

カンポットは今年最初の冷え込みで、今朝の気温25度、巷では人々が一斉にジャケットを着始めました。 カンボジア人は「冬だ!!!」と言いますが…カンボジアの常夏の気候にすっかり慣れてしまった私も、今日は長そでを着ました。

2008/11/27

教団理事会宣教師団代表者合同会議

水曜日、教団の理事会と宣教師団代表者合同の会議が、プノンペンでありました。去年一部の宣教師たちの間で起こった問題が、宣教師団全体に影響を及ぼしているのを憂慮した理事会が、宣教師団に呼びかけ招集したものです。カンボジアの教会を支援するため遣わされてきたはずの宣教師たちが、支援するどころか、教会の悪い見本になっているのが、今の私たちの実情です。理事会が憂慮するほどの宣教師たちの関係は、私たちがみことばに従っていない者たちであることを物語っています。主のみことばの前にへりくだらされます。

昔の人々に、『人を殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない。』と言われたのを、あなたがたは聞いていますしかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に向かって腹を立てる者は、だれでもさばきを受けなければなりません。」マタイ5:22

2008/11/22

諸国民のうちを望み見て

諸国民のうちを望み見て、驚け、そして怪しめ。わたしはあなたがたの日に一つの事をする。人がこの事を知らせても、あなたがたはとうてい信じまい。」―ハバクク1:5

数か月前にはインドのオリッサでクリスチャンに対する激しい迫害が起こったり、米国各地ではクリスチャンたちが同性愛者から迫害を受けるなど、欧米諸国に関わらずクリスチャンに対する迫害は益々拡大しているこの頃ですが、それと同時に膨大な数の人々が日々救われているのは、日本ではあまり耳にしません。迫害レベルでは50カ国中世界第1位に位置づけられているイランでは、イスラム教からキリスト教に改宗した者と改宗させた者が暗殺されているのは日常茶飯事、アッセンブリー教団牧師も既に数人殺害されていますが、実は、政府が汚職で取り入れたサテライトテレビのキリスト教番組を見ている人が、何と人口の70%、聖書訓練の番組を見ている人が40%、という統計が出てきました("Mission Frontiers"9-10月号より)。番組を見て救われたという人が多く、地下教会が急速に成長、政府の取り締まりが追い付かないそうです。事実、カンボジアの隣、タイのバンコクの教団国際教会では、宗教亡命を求めたイラン人が教会の大半を占めているそうで、ファーシ語(イラン語)礼拝を持っているという話を、国際教会牧師から伺ったことがあります。迫害はクリスチャンがキリストの似姿につくりかえられるための主のみ業、宣教師が入っていけないような国で救われる人が起こされるのも主のみ業、主の御名は誉むべきかな!

2008/11/20

生きるのも死ぬのも主のため

写真はマシューの両親です。改めて、義父のため、覚えてお祈りくださっている皆様に心から感謝申し上げます。
義父ですが、衰弱し寝たきりの生活になりました。会話もほとんどできなくなっていますが、義母いわく、「主から与えられたこの道を走りぬきたい」と言っているということでした。死を前にしてそのように思うことができるのは、何と幸いなことだろうと思います。果てしなく自己中心の私たちが、「生きるのも死ぬのも主のため」と言うことができるのは、主のみ業以外何ものでもありません。義母が霊的にも肉体的にも支えられていることに、格別な主の憐れみを見ています。主に栄光をお返しつつ、再度、お祈りくださっている皆様に、このブログをかりて、ご報告申し上げます。

わたしたちは、生きるのも主のために生き、死ぬのも主のために死ぬ。だから、生きるにしていも死ぬにしても、わたしたちは主のものなのである。」―ローマ14:8

2008/11/18

ユリ2歳、主に感謝

今日で娘のユリが2歳になりました。時が経つのは早いものだと、娘の成長を見ながらつくづく思わされます。主が今日まで守ってくださっていることを心から感謝します。出産から今日まで、娘の人生に関わって下さっている方々、お祈り下さっている方々に深く御礼申し上げます。この子が成長して、主に栄光をお返しする人生を歩むよう、更にお祈りに加えてくださいましたら感謝です。

2008/11/14

水祭り

10日から13日まで、カンボジアは水祭りで一斉休暇です。ボートレースで大変な賑わいになるプノンペンを後に、この休暇を利用してキャンプや修養会等を開催する教会も多くあります。カンポットにもいくつかの教会団体がやって来ましたが、今回はそのうちの一つ、学生伝道を目指しているインドネシア人宣教師の、学生たちの修養会に講師の一人として招かれ、マシューが参加しました。まだクリスチャンになって間もない人もいれば、クリスチャンではなけれど参加してきた人たち…テレビや都会の騒々しさを離れ、福音に耳を傾けるいい機会です。主の御霊がそれぞれの内に働いて下さいますように!

2008/11/05

人間をとる漁師

家の裏の田んぼで漁を試みる子供たちです。
様々な経路を通してカンボジアに数か月前に到着した、日本、韓国、中国からのクリスチャンが、先週末、休暇を利用して、私たちを訪ねてカンポットに来て下さいました。それぞれ目指している方向は違いますが、目的はただ一つ、主キリストの福音を世界に出て行って宣べ伝えることです。主がそれぞれに成されているみ業の証しを伺いながら、胸が熱くなりました。「恐れることはない。今からあなたは人間をとる漁師になるのだ。」(ルカ5:10)のペテロに語られた主のみことばから伺うことができるように、主は今日も世界中で「人間をとる漁師」たちを起こされています。罪深い、主のみことばに従うことが不可能な私たちの心を新しくつくり変え、主に仕えたいという思いを起こされるのは、まさしく主のみ業です。日の出る所から没する所まで、国々のうちで主のみ名はあがめられています(マラキ1:11)!

2008/11/03

ペアッカダイさんの証

ヴター師の奥さま、まだ20代後半ですが落ち着いており30代にも見えてしまうペアッカダイさん、素晴らしい証を持っています。ベトナム人の父親とカンボジア人の母親を持っており、ベトナムで生まれ育ったそうですが、10歳の時に父親が他の女性を求めて家族を捨てたそうで、カンボジアのプノンペンに母親と一緒に帰って来ました。12歳の時に生活に困った母親がペアッカダイさんを売春宿に売り払い、その売春宿に行く途中、大きな事故に遭って太ももから下の右足を失いました。母親はペアッカダイさんを捨て蒸発、祖母に育てられたそうですが、祖母の死去後、コンポンソム州のアッセンブリー教団が建設運営している孤児院に預けられ、そこでキリストに出会い、救われます。「この足を失わなかったら今頃私は売春婦をしていた。主の憐みで、私は永遠の命を与えられ、素晴らしい夫まで与えられた。主がこれを成して下さったのです。」と涙を流して誰にでも証します。主の成されるみ業はその時にかなって美しい、みことばがペアッカダイさんの証を聞きながら、頭の中で呼応していました。主のみ名を賛美します。

働き人

先月コンポンソム州の孤児たち22人を引き連れてカンポットに引越してきた、ヴター師とその家族です。このヴター師、元々カンポット州出身で、まだ救われていない両親や兄弟姉妹に福音を伝えたいと、コンポンソム州の孤児院を後に、孤児たち全員を引き連れてこのカンポット州にやってきました。アッセンブリー教団教会で救われ、現在通信講座をとりながら牧師になる資格を取得中です。カンポットに重荷のある働き人を送って下さるよう主に祈ってきた私たちですが、主がその祈りに答えてくださったことをこのご夫妻を通して実感しています。ヴター師は中華系クメール人、奥さまのペアッカダイはイスラム教徒と結婚した家族がこのカンポット州にいるとのこと、二人とも中国人、イスラム教徒伝道にも重荷があります。カンポットの全土に福音がこの一家を通して伝わりますように!

2008/10/26

目をあげて畑を見なさい

カンポットの稲が色づき始めました。広大な水田を眺めながら、
あなたがたは、刈り入れ時が来るまでにはまだ四か月あると言っているではないか。しかし、わたしはあなた方に言う。目をあげて畑を見なさい。はや色づいて刈入れを待っている。」(ヨハネ4:36)
のみことばを思い出しました。昨日タケオ州の牧師夫妻が、洗礼式の帰りに、受洗した20人の若者たちを連れて私たちを訪問してくださったのですが、実はその牧師夫妻、去年からカンポット州の北部で伝道を始めたとのこと、既に4つの群れができており、今回受洗した若者たちもそのうちの1つだというのです。「私は何もしないのですが、若者たちが友人をどんどん連れてくるんですよ。あっという間に群れができてしまいました。」と牧師が笑いながら話してくださいました。まさに、畑は「はや色づいて刈入れを待っている」です。主の成されるそのみ業に感動、あらためてそのみ名を賛美しました。

2008/10/16

タイ国境にて衝突―プレヴィヒア遺跡をめぐって

カンボジアの北、プレヴィヒア州のタイとの国境でタイ軍とカンボジア軍が約一時間衝突、カンボジア兵2人死亡、数人が負傷したとニュースがありました。つい数か月前ユネスコの世界遺産に登録されたプレヴィヒアの遺跡をめぐって、「タイのものである」と怒った政府が7月にプレヴィヒアの遺跡近辺に軍を送ったのが発端で、以来両国間に緊張が走っています。遺跡がユネスコ遺産に登録されるのを見過ごしたタイの前首相は、その後すぐ首相を解任されたほどでした。5年前にも「アンコールワットはタイのものである」とタイ人の女優が言ったということで、激怒したカンボジアの市民がタイ大使館に放火、カンボジア政府がその後タイ大使館を日本大使館と隣接して建て直したのもまだ記憶に新しいのですが、今回はもっと深刻なことが起こりそうな勢いです。タイ大使館は閉鎖、カンボジア国内に滞在しているタイ人たちも国外退去するようにと言われているそうで、国内にタイ人のクリスチャンの友人がいる私たちも心配しています。どうぞ、両国間の紛争にいたらないように、カンボジア国内のタイ人と、タイに出稼ぎに出ているカンボジア人が守られるように、覚えてお祈りください。

2008/10/06

ユリ20か月

娘のユリ、現在20か月です。隣の大家さんの1歳のお孫さんや、自分とほとんど変わらない大きさの子供の世話をするのが大好きです。主に守られて成長しています、皆様のお祈りを心から感謝します。
最近プノンペンに、バンコクの病院と提携した立派な総合病院ができ、私たちも最初は他の宣教師たちと同様、「見かけは良くても…」と半信半疑だったのですが、予防接種の関係で出かけて見たら、何と小児科医が日本の医学大学で学位を取った、日本人と全く変わらない日本語を話す台湾人でした。沖縄にも住んでいたことがあるそうで、生まれも育ちも沖縄の私ですので、話が盛り上がってしまいました。素晴らしい病院を与えてくださった主に感謝、この小児科医に福音を語る機会が与えられるよう祈っています。

2008/09/30

クメール語訳マンガ“善と悪”

バプテストの兄弟姉妹が手がけたマンガ、“善と悪("Good and Evil")”のクメール語訳がつい数日前出版されました。この漫画、ただのマンガではありません。創造主が歴史の中でどのように人間の罪に対応されるか、そしてキリストがその罪対処の最高峰であること、キリスト以外に救いはないことを聖書の出来事を通して分かりやすく描いたマンガです。クメール語訳のキリスト教書が少なく、しかもいい本となるとほとんどないと言っても過言ではないこのカンボジアで、聖書に沿った、キリスト中心、宣教目的のマンガが出版されるとは夢にも思っていませんでした。早速大家さんのお孫さんたちや、近所の若い人たちに配ったら、マンガが大好きな若い人たち、とても喜んで読み始めました。読む人々の心に主が働いて下さるよう祈っています。

2008/09/29

プチュンバン(盆)

写真左はプノンペンポストから拝借したもので、寺で先祖の霊に捧げものを捧げているところです。15日からプチュンバン、日本でいうところの「お盆」が始まりました。先祖に捧げる贈り物を抱えて、それぞれの故郷に帰省する帰省ラッシュは、公休日の28-30日が最高になります。クリスチャンにとっては、信仰の試される時期です。昨日の礼拝後も、教会員たちが、儀式に参加しないことで受ける様々な迫害を話してくれました。しかし聖書は、「いったい、キリスト・イエスにあって信心深く生きようとする者は、みな、迫害を受ける。」(IIテモテ3:12)と教えます。私たちが「神に召されていだいている望みがどんなものであるか」、私たちが「つぐべき神の国がいかに栄光に富んだものであるか」を、主がカンボジアのクリスチャンたちの「心の目を明らかにして下さ」り見せてくださるように(エペソ1:18)、そしてかん難を乗り越える力を与えて下さるように、と祈っています。

2008/09/22

さめていても眠っていても

カンポット教会の礼拝風景です。小さな群れですが、この教会が主に救われたその喜びで溢れかえり、周囲に福音を語らずにはいられない群れになるように、私たち一人一人の日々の歩みを通して、キリストが栄光をお受けになるように、というのが私たちの祈りであり、目標であります。

キリストがわたしたちのために死なれたのは、さめていても眠っていても、わたしたちが主と共に生きるためである。」-Iテサロニケ5:10

2008/09/15

恵みの雨

カンポットは今日も雨、先月開始した今年二回目の田植えもほとんどの田んぼで終了、恵みの雨で水田が潤っています。プノンペンと違い降雨量が非常に多いこのカンポット州では、サテライトのインターネットの接続が非常に悪いことが、雨季に入って判明しました。「インターネットが…」とついつい愚痴をこぼしそうになってしまう私ですが、この雨が見事な収穫をカンポットの地にもたらすことを忘れてはいけません―雨は主が与えて下さるものです。

主はその宝の蔵である天をあなたのために開いて、雨を季節にしたがってあなたの地に降らせ、…」(申命記28:12)

2008/09/11

英会話レッスン

ブログのアップデート、長く怠ってしまいました。 大家さんの息子さん二人との英会話レッスン、毎夕続いています。最近気づいたのですが、こんな田舎のカンポットでも英会話を学びたいという人は以外に多いのです。この田舎で何に英会話を使うのだと、私たちのような外国人はついつい思ってしまうものですが、大家さんの息子さんたちも、毎夕やる気満々です。この二人に福音を語るのが、勿論私たちのゴールです。主が憐れんで下さり、大家さん一家を救って下さるよう、ひたすら祈っています。

2008/07/30

国民議会議員総選挙(その六)

投票日、カンポット州の教会の近くに設置された投票会場です。会場周辺には複数の軍隊と警察が万が一の時のために待機していました。 結果は人民党が何と91議席を獲得、フン・セン首相の予想を上回る結果に終わりました。議席をほとんど獲得できなかった他党は選挙に不正があったと、人民党に対して大そう不服のようです。
まだまだ国政が安定しているとは言い難いですが、主がカンボジアのクリスチャンたちに福音を伝える自由がある期間を引き延ばして下さっていることは確かです。感謝です。この機会を逃さず、クリスチャンとして福音を大胆に語る者たちを、この国から更に起こされるよう、祈っています。

2008/07/25

国民議会議員総選挙(その五)

新聞で総選挙に関する興味深い記事が載っていました―総選挙に合せて国内外の人権団体も、選挙で不正が行われないように目を光らせていますが、「人民党に投票しないと大変なことになる」と脅されて人民党に投票するよう誓約を立てさせられた人々、あるいは賄賂を渡されて人民党に投票するよう誓約を立てさせられた人々のために、22日、カンボジアの人権団体が儀式を開き、強制的に誓約を立てさせられた人々がその誓約から解放されて投票できるよう、霊が人民党に投票しなかった人々に祟りを下さないようにと祈ったそうです(25日、"Phnom Penh Post"より)。カンボジアの人々は、どこの家にもある祭壇で見られるように、霊の祟りをこの上なく恐れます。 「しかし、わたしはあなたがたに言う。いっさい誓ってはならない。」(マタイ5:34、cf.ヤコブ5:12)のみことばをカンボジアのクリスチャンたちが真剣に受け止め、誘惑に打ち勝つ力を上から与えられるよう、祈っています。

国民議会議員総選挙(その四)

日曜の選挙を控え、選挙運動も過熱しています。カンボジアでは、総選挙の投票はそれぞれの故郷でしなければならず、地方からきた労働者で溢れるプノンペンのほとんどの商業が閉鎖を強いられています。地方はお陰でクメール正月並みの賑やかさです。ここカンポット州も、突然の人口急増に電力が間に合わず、停電を繰り返しています。
選挙がどこのメディアもフン・セン首相率いる人民党が間違いなく勝利、今回は特に、123席ある議席の81席を獲得することを予想している、とフン・セン首相が公言していると新聞に載っていました。毎回何百人と死者を出してきたこの総選挙、今回は既に死亡事件が起こっていますが、驚くほど平穏であると、外国系選挙管理団体は言っているそうです。

2008/07/17

タイ国境にて

タイとの国境近くにある、コッコン市外のイスラム教徒の漁村です。コッコン州に出かけている最中、カンボジアの北、プレヴィヒア州で、タイ軍人が不法で越境したということで、タイ側とカンボジア側で軍を導入、カンボジアで働いているタイ人は国外一斉退去するなど、両国間に緊張が走っていると、ニュースで大騒ぎになっていると聞きました。プレヴィヒア州にある遺跡を、タイのものであるとタイ側が言っているそうですが、5、6年前にもシェムリアップにあるアンコールワット遺跡群をタイのものであると主張した女優の一言に憤慨したカンボジア人たちが、プノンペンのタイ大使館に火をつけたのを記憶しています。タイとの国境近くまで出かけてきましたが、ここではさほど、緊張は走っていないようです。コッコン市では市場でもタイ語が飛び交っていました。

コッコン州

カンボジア南西、カンポット州から約200km離れたところにある、コッコン州に出かける機会が与えられました。カンポットに来てカンボジアの美しさを始めて見たと思ったのですが、コッコンの大自然には息を飲みました。私たち、仙台に一年住んだことがあるのですが、仙台の蔵王の景色を思わせるような、壮大な景色です。つい数週間前に4つの橋が完成、コッコン市までプノンペンから自動車で行けるようになりました。このコッコン州、カンポット州と同じく、イスラム教徒の村が海岸沿いに多く散在しています。福音派の教会がまだ2つしかないそうで、イスラム教徒伝道が手つかずの状態である地域です。

2008/07/13

迷信

カンポット・アッセンブリー教会です。マシューが説教の奉仕をする予定だったのでいつもより早めにやってきた日曜日の朝、普段は2,3人しか集まらない礼拝に、見たことのない顔が大勢ありました。一体何が起こったのだろうと思えば、実は昨夜教会の信徒の叔母さんが脳溢血で亡くなったとのこと。教会員も含め親戚や訪れた人たちは、死人の霊が怖くて死体に決して近寄りません。教会に来られたのを見たことがなかったのですが、クリスチャンであったそうで、「霊が無事に天国に戻れるように祈って下さい」と家族が懇願してきました。カンボジアでは、僧侶の読経によって死人の霊は極楽に戻ることができると信じられています。牧師が祈ることによって霊が無事に天国に行けると信じているクリスチャンも、少なくありません。聖書から、死人の霊は地上でさ迷うのではなく、行く場所が決まっているのだと、牧師や僧侶の祈りによって霊が天国に行ったり地獄に行ったりするのではない、一人一人の命はすべて創造者なる主の権限の下にあるのである、と、何度も繰り返して説明しなければなりません。

2008/07/01

大家さん一家

大家さん夫婦とお嫁さん、大家さんの孫たちです。「キリスト教についてもっと知りたい」と言ってきた大家さん、現在マシューにクメール語の高等語と呼ばれる、聖書で使われている言葉を教えながら、キリスト教について学んでいます。また、「息子二人にも英語を教えてやってくれないか」と言われ、息子さん二人も毎夕マシューと一緒に英語を勉強しています。この一家の救いのため、どうぞ覚えてお祈りください。