2010/06/22

ナイジェリア北部にて

写真はVoice of Martyrs(殉教者の声)の6月号より拝借したものです。今年3月にナイジェリアの北部の3つの村で、イスラム教過激派のグループがクリスチャンを襲撃、一晩で500人ものクリスチャンが殺害されたそうです。写真の女の子は4歳で、両親が襲撃によって殺害され、少女も左腕をなたで切り落とされたとのこと、襲撃の激しさを物語っています。

殺害されたクリスチャンたちの告別式の中で牧師が、「聖書でキリストが、このような迫害はこの世の終わりの時代に起こると言っておられるではないか。与えられた十字架を背負って、襲撃した者たちを許さなければならない。」と語ったそうです。
世界には、キリストを礼拝する自由がなく、キリストを語ると投獄され、キリストに従うと決意した途端迫害され殺害されて行く国に住んでいる兄弟姉妹が多くいます。そのようなクリスチャンのことを常に思い祈り続けたいものです。

2010/06/21

カンポット教会

カンポット教会です。切迫早産と診断を受けて以来、教会員たちみんなで祈り続けてくれ、6ヶ月ぶりにレビを連れて帰って来た私たちを喜んで迎えてくれました。

以前はフランス・アッセンブリー教団の購入した土地で礼拝を持っていたこの群れですが、諸事情で教会員の自宅を転々として礼拝を持つようになりました。教会が遠すぎて、乗物に乗るお金がなくて来ることができなかった兄弟姉妹たちが礼拝に来るようになり、また近所の未信者も礼拝に参加するようになりました。教会と言う建物がありませんが、兄弟姉妹は揃って喜んでいます。

立派な建物は無くとも、私たちの主キリストが、み父であられる神を礼拝できる謁見所になって下さいます。世界中の宗教の中で、クリスチャンしか持てない特権です。

「イエスは彼らに答えて言われた。『この神殿を壊してみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。』そこで、ユダヤ人たちは言った。『この神殿を建てるのに四十六年かかりました。あなたはそれを、三日で建てるのですか。』しかし、イエスはご自分のからだの神殿のことを言われたのである。」-ヨハネ2:19―21

「…あなたがたが父を礼拝するのは、この山でもなく、エルサレムでもない、そういう時が来ます。」「…真の礼拝者たちが霊とまことによって父を礼拝する時が来ます。今がその時です。」-ヨハネ4:20-23

水不足

写真はカンポットの水田の風景です。右手の水田は水が全くないのが分かります。

5か月ぶりに戻ってきたカンボジアは、日中最高気温40度近くまであがる猛暑が続いています。乾季が例年よりも長引いており深刻な水不足らしく、どこに行っても水不足の話になります。。乾季の終わり、雨季の初めの5月下旬から6月上旬は、カンボジアの水源であるトンレサップ湖の水深が通常なら1mあるのですが、今年は乾季が長引いたため、いちばん深いところで40cm程度しかないそうです。また雨季に備えて田植えを始めた農家の田んぼが干上がって植えた苗が死んでしまい、農家が大打撃を受けていると新聞に載っていました。

農業を営んでいた教会員で、農業を諦めて養豚に切り替えた人たちもいます。水不足で悩まされることがほとんどないカンボジアですが、雨の大切さを改めて教えられています。

2010/06/18

はじめまして、レビです

長い間ブログの更新を怠ってしまいました。

妊娠21週目で切迫早産と診断を受け、カンボジアには新生児集中治療室を備えた病院が無いため、医者の指示で、妊娠24週目の昨年末日本に一時帰国しました。実家近くの病院で切迫早産のため約2か月入院、主の憐れみで予定日の4月2日に3194gの男児を出産しました。名前は、リーバイ・ジェレマイア(レビ・エレミヤ)です。

苦しみにあったことは、わたしに良いことです。これによってわたしはあなたのおきてを学ぶことができました。」―詩篇119:71

のみ言葉の通り、切迫早産と診断を受けてから出産に至るまで、様々な試練を通されましたが、そのことを通して主のご性質をあらためて学ぶことができました。また何度も不平をこぼし、悔い改めるのですがまた辛くなると不平をこぼし…その連続でしたが、自分の罪深さも改めて思い知らされました。多くのことをお教え下さり、また憐れんで下さって、息子を安産でお与え下さった主に心から感謝します。

日本を始め、 世界中の多くの兄弟姉妹たちに祈られた数か月間でした。お祈り下さった皆様に深く御礼申し上げます。祈り手を起こして下さり、そのみ業を成し遂げられる主にご栄光がありますように。

2009/11/18

ユリ3歳

娘のユリですが、今日3歳になりました。誕生から今日までの、受けるに値しない主の憐れみに感謝せずにはいられません。ちなみに「ユリ」という名前は、第二次大戦中のクリスチャンに対する迫害を通らされたユリの今は亡き曾祖母、「ユリ子」から、迫害の中にあっても大胆にキリストを語る者になるように、と祈りつつとった名前ですが、それと同時にマタイ6:28-33(ルカ12:27-31)のキリストのことばにも由来しています。

「…野のゆりがどうして育つのか、よくわきまえなさい。働きもせず、紡ぎもしません。しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を窮めたソロモンでさえ、このような花の一つほどにも着飾ってはいませんでした。きょうはあっても、あすは炉に投げ込まれる野の草をさえ、神はこれほどに装ってくださるのだから、ましてあなたがたに、よくしてくださらないわけがありましょうか。信仰の薄い人たち。
 そういうわけだから、何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、などと言って心配するのはやめなさい。これらのものはみな、異邦人たちが切に求めているものなのです。しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であることを知っておられます。だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」

主が若いうちに娘を救って下さり、主を畏れる者にして下さり、御霊を通して主のみ父であられる神を何よりもまず第一に求める人生を歩むようにして下さるように、私たちの切なる祈りです。

2009/11/16

タイ―カンボジア間の情勢

コッコン州のタイ国境に翻る、タイ、カンボジア両国の国旗です。週末にかけて用事があってコッコンに出かけて来たのですが、 丁度タイのタクシン氏がカンボジア政府に招かれ、逃亡先のイギリスからはるばるプノンペンを訪問している最中で、万が一に備えてでしょうか、コッコンの国境にはカンボジア軍の兵士があふれていました。タイ政府はカンボジア政府にタクシン氏の引き渡しを要求、カンボジア政府が要求を拒否したと言うことで、タイ政府がカンボジアとの経済協力関係の見直しをし始めていると、報道されていますが、どうなることやら…ほとんどタイのバーツで取引がなされ、タイの商品で溢れているコッコンの地元の人たちと少し話したのですが、人々も不安を隠しきれないようでした。大事に至らないよう祈っています。

2009/11/08

タイ―カンボジア間の緊張高まる

カンボジア政府が賄賂で国外逃亡しているタクシン氏を経済顧問に任命しようとしたことをめぐって、カンボジア―タイ間の緊張が高まっています。昨日在カンボジアタイ大使がタイ政府の召喚を受けて、カンボジアを出国しました(Phnom Penh Post11月7日の記事)。カンボジア政府はプレヴィヒア遺跡を巡っての問題等で現タイ政府といい関係になく、タクシン氏を経済顧問に任命しようとした裏には、現タイ政府に対するいやがらせがあったとも憶測されていますが、タイとカンボジアの国家間の問題は今に始まったことではありません。2003年には負傷者も出たほどの反タイデモが起きました。

カンボジア在住のタイ人らと、タイ在住のカンボジア人らの安否が気遣われます。戦争に至らないようお祈りください。

2009/11/03

イラン―アッセブリー教会閉鎖を命じられる

テヘランの中央アッセンブリー教会が10月30日(金※イスラム教国の多くの福音派の教会はイスラム教徒たちの礼拝の日、金曜日に合わせて礼拝を持っています)に、今後教会で礼拝を持つことを禁じられ、教会の閉鎖を命じられたということです(persecution.orgの11月3日の記事より)。イランではアッセンブリー教団は登録教会として、他の地下教会に比べてこれまでややゆるやかな規制がおかれていたそうですが、昨今クリスチャンに対する厳しい取り締まりに合わせて、アッセンブリー教団教会も閉鎖に追いやられることになりました。

私たちクリスチャンは礼拝所に捉われず、どこででも私たちの主キリストに礼拝をささげることができます。イランのクリスチャンたちがこれに挫けず、更に御霊によって強められ、迫害の中でキリストの光として輝くことができるよう、覚えてお祈り下さい。

2009/11/02

英会話レッスン(2)

写真は近所のチャム族村の女の子たちです。

つわりが思ったより長引き、ブログの更新を大分怠ってしまいました。つわりの私をよそに、マシューはタマイ村(チャム族村)での英会話レッスンで忙しくしています。学校の先生と小中学校の生徒たちを対象に、現在合計約50人の参加があっています。

つい先週、英会話教室をしている家の人たちが2年前にキリストの映画を見たことがある、ということが判明しました。どうやらCCC(キャンパス・クルセード・フォー・クライスト)の制作したキリストの映画を、誰かがタマイ村で上映したようです。私たちの他にこの村に福音を伝えたい、と思ったことのある人がいる!と、胸が躍りました。

2009/10/04

台風カツィアナ

フィリピン、ベトナムで大きな被害を及ぼした台風カツィアナですが、実はこのカンボジアでも特にプノンペンの北西、コンポントム州でその爪痕を残して行きました。フィリピン、ベトナムほど死者の数は多くありませんが、18名、土砂で道路が遮断され、救援活動が遅れていると報道されています。コンポントム州にもアッセンブリー教団教会がありますが、被害の連絡は来ていません。災害の中で、フィリピン、ベトナムのクリスチャンらを含めた兄弟姉妹たちが強められ励まされるよう祈っています。

2009/09/20

ユリもうすぐ3歳

盆休暇でカンポットまで遊びに来てくれた友達と一緒に、海で泳ぐ人々を眺める娘(左)です。もうすぐ3歳、来年4月にはお姉ちゃんになります。主の憐れみで今日まで成長していることを、心から感謝する毎日です。

2009/09/07

豪雨

3,4年に一度しか大きな洪水が起こらないと聞いていたカンポットですが、今年に入って2度目の洪水が起こりました。日本に向かっていた台風の影響で、昨日から豪雨が続き、タックチュー川が氾濫、市内一帯が床上浸水の被害に遭いました。カンポットではこの豪雨で2人死亡。知り合い数家族の家が床上浸水、家具の大部分を失い、未だに災害の始末に追われています。

2009/09/04

体験旅行ツアー

8月26日から9月4日まで、カンボジア宣教始まって以来初の体験旅行ツアーが開催されました。初めてのツアーで色々不都合があったと思うのですが、皆さん最後まで辛抱してくださいました。戦後30年経ったカンボジアで主が成されているその偉大なみ業を、日本のクリスチャンたちに見てもらいたい、ツアー前から祈っていたのですが、見ていただけたかどうか…主が旅行最後まで、一行をお守りくださったことに心から感謝。

2009/08/22

みことばを心にたくわえる

中国大陸から宣教訓練のためにカンボジアへやってきた、約20人の兄弟姉妹が、私たちを訪ねてカンポットへ見学に来てくれました。現在建築中の水力発電所の開発のため約5,000人の中国人が大陸からやってきていると言うこのカンポットで、宣教できる可能性があるかどうかを視察に来たこの兄弟姉妹、交わっているだけで、キリストの光が朝明けのまぶしい太陽のように輝きます。聖書を所持することが困難なため、日常生活の中で必死で新約聖書のほとんどを暗記している彼ら、聖書のみことばが自由自在に口からこぼれてくるのに、驚かされました。
あなたに罪をおかさないため、私は、あなたのことばを心にたくわえました。」―詩篇119:11
もっとみことばを覚えなければいけない!そんな風に励まされた一日でした。

2009/08/21

無駄でない人生

マシューの両親です。昨年12月に45年間連れ添った夫を天に見送った義母ですが、一人きりになった寂しさと闘う傍ら、70歳になるこの未亡人が何か主のためにできることはないかと祈り続けていました。エルサレムのパレスチナ自治区で、イスラム教徒の子供たちのために設立されたキリスト教の小学校で教鞭を執らないか、という話が先々週舞い込んで来、周囲の子供たちの心配をよそに、2週間と経たないうちに荷物をまとめてイスラエルに飛び立ちました。

爆弾が日常のように飛び交うエルサレム近郊です。ましてやパレスチナ自治区、何が起こるか分かりません。でも、子供たち一家に囲まれた居心地のいい生活よりも、どんなところでもいいから主に用いられたい、残りの人生を無駄にしたくない、そう口癖のように言っていた義母でした。

主のために生きる人生―自分のために生きるより、はるかに喜びに満ちている人生です。この世の安心や安全を求めて生きるより、はるかに安心で安全な人生です。身に危険は及ぶかも知れません。でも永遠を主と共に過ごすことのできる天のみ国での生活が一段と近づきます。「よくやった、忠実なしもべよ。」と、主の主、王の王が、み前に立たされた時に言って下さるかも知れない希望があります。主のために生きる人生―決して無駄ではない人生です。

ペテロがイエスにこう言い始めた。『ご覧ください。私たちは、何もかも捨てて、あなたに従ってまいりました。』イエスは言われた。『まことに、あなたがたに告げます。わたしのために、また福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子、畑を捨てた者で、その百倍を受けない者はありません。今のこの時代には、家、兄弟、姉妹、母、子、畑を迫害の中で受け、後の世では永遠のいのちを受けます。』」―マルコ10:28-30

2009/08/20

教職修養会

写真はビーチでブランコに乗って遊ぶ娘です。
18~20日の3日間、教団教職の修養会が海沿いのコンポンソム州で開催され、マシューがセミナーの講師を務めました。主題は「夫婦―キリストと教会の契約関係」、聖書から夫婦の関係がどうあるべきかを、キリストと教会の関係を通して学びました。牧師、信徒に関わらず、家庭内の夫婦関係が薄いこの国で、その国の習慣ではなく、聖書が教えるところの基準に従いたいと聖書を学ぶクリスチャン家庭が起こされるよう、祈っています。

2009/08/07

牧師3人が首をはねられる―ナイジェリア北部

シャリア法を国の法律にせよとイスラム教過激派が運動を起こしているナイジェリア北部で、クリスチャンに対する迫害が強まっています。先週クリスチャン50人 がイスラム教過激派グループ、ユスフィアによって捕えられ、キリストを捨てイスラム教への改宗するよう迫られ、拒んだ牧師3人が、首をはねられ殺されました(Daily Sun6日の記事より)。その3人の牧師のうちの一人は、ユスフィアのリーダー、モハメッド・ユスフに福音を語ったことがあると、改宗を拒んだ時に言ったそうで、その場で首をはねられたそうです。3人の牧師の告別式では黙示録7:9‐15から、主に召されたときにはいつでも死ぬことができるよう、心の用意をしようと、クリスチャンの兄弟姉妹らに呼び掛けがあったということです。

あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。
彼らは大声で叫んで言った。『救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。』
み使いたちはみな、御座と長老たちと四つの生き物との回りに立っていたが、彼らも御座の前にひれ伏し、神を拝して、
言った。「アーメン。賛美と栄光と知恵と感謝と誉れと力と勢いが、永遠に私たちの神にあるように。アーメン。』
長老のひとりが私に話しかけて、『白い衣を着ているこの人たちは、いったいだれですか。どこから来たのですか。』と言った。
そこで、私は、『主よ。あなたこそ、ご存じです。』と言った。すると、彼は私にこう言った。『彼らは、大きな患難から抜け出て来た者たちで、その衣を小羊の血で洗って、白くしたのです。
だから彼らは神の御座の前にいて、聖所で昼も夜も、神に仕えているのです。そして、御座に着いておられる方も、彼らの上に幕屋を張られるのです。』」(黙示7:9‐15)

主に召されたときは、いつでも死ぬ用意が果たして私にはできているだろうか、いや、できていない、と記事を読みながら思わされました。
牧師らの殉教がナイジェリアの兄弟姉妹らの励ましとなるよう、そしてナイジェリア北部で大きな実が実るよう、覚えてお祈り下さい。

2009/08/04

キリストは偉大な救い主

聖書年間通読で、現在ルカを読んでいるところですが、4日のデザイアリング・ゴッドのブログにルカ7:36-50について、以下のような記事がありました。

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「その男の家でイスラエルの聖者が、食卓についておられた。モーセが預言した、その預言者が彼と夕食を共にしておられた。栄光の主、よみがえりでありいのちでおられるお方が、彼と顔を合わせて語っておられたのである。旧約の預言者、王たちが望み見たそのお方がやって来られたのだ。シモンにとっては、メシアをお招きできるなんて、精神が錯乱するほど素晴らしい出来事であるはずであった。

しかしシモンは驚かなかった。彼はイエスを見たが、彼の見たのは埃にまみれた、妄想だと思われてもおかしくないことを自称する、ナザレ人であった。

イエスのみ足は汚れていた。洗足を客にすすめることは、中近東の人々にとっては何千年も深くしみついた習慣であった。洗足をすすめないことは、その客を辱めることであった。シモンがそれを単純に忘れることなどないはずである。

しかしイエスは気を害された気配をまったく見せられなかった。食卓につき、うわべだけのあたりさわりのない話が交わされた。幾つかの質問がなされた。

突然イエスに向いていた目のすべてが心配しているかのように、主のみ足に集中した。イエスは後ろを向かれた。

明らかにこの家の者でない女性が一人、主の側に立ちすくんでいた。女性は小さな壺を片腕に抱き、主をまじまじと見つめていた。そしてむせび泣き始め、膝をついた。涙が溢れるまま、体を前にかがめ、イエスの汚れたみ足に涙を落とし、自分の髪の毛で、汚れと共に涙を拭いた。それからイエスのみ足に接吻をした。

はっと息を飲むのと、つぶやきが食卓を包んだ。この女性には地元の客たちみんなに知られている噂があった。それが噂であるかを公に語ることさえ、不適切であった。女性はただ単に「罪人」と呼ばれていた。それにどのような意味が含まれていたか、全ての人が知っていた。

そのためイエス以外のすべての者が、その罪人の行為に腹を立てた。イエスには驚かれた様子はなかった。そして主は彼女をまったく止められなかった。気づいた僕が女性の方に動きかけたが、シモンが手を振って引きとめた。これはとても意味深い瞬間だ。

イエスのみ足に壺から香油を注ぎ出す女性をじっと見つめながら、シモンは軽蔑と快感を感じた。彼のイエスに対する評価が正しかったことが、目の前で明らかにされた。この不道徳な女性に対する驚くほどの洞察力の欠如ほど、この預言者と言われている人の虚偽を物語るものは他にはない。この女に触れられることによって自分を汚す聖者はどこにもいない。シモンは議会に報告することを思い描き始めた。

「シモン、あなたに言いたいことがある。」イエスのおことばがシモンの注意を戻した。「先生、お話しください。」シモンは答えた。

「ある金貸しから、ふたりの者が金を借りていた。ひとりは五百デナリ、ほかのひとりは五十デナリ借りていた。彼らは返すことができなかったので、金貸しはふたりとも赦してやった。では、ふたりのうちどちらがよけいに金貸しを愛するようになるか?」

シモンは答えた、「よけいに赦してもらったほうだと思います。」イエスは言われた、「あなたの判断は当たっている。」

女性の方を向いて、主はシモンに言われた、「この女を見たか。わたしがこの家にはいって来たとき、あなたは足を洗う水をくれなかったが、この女は涙でわたしの足をぬらし、髪の毛でぬぐってくれた。あながは、口づけしてくれなかったが、この女は、わたしの足に香油を塗ってくれた。だから、わたしは言う。『この女の多くの罪は赦されている。というのは、彼女はよけいに愛したからである。しかし少ししか赦されない者は、少ししか愛さない。』」

そして女に、「あなたの罪は赦されている。」と言われた。

***
「少ししか赦されない者は、少ししか愛さない。」ということばは、私たちに巨大な真実を現わす―私たちは自分自身の罪の重大さと、神がそれをお赦しになる憐れみの莫大さに気づいた分だけ、神を愛する。

パリサイ人として、シモンは、かなりの神学的教育を受け、旧約聖書を広範囲に渡って覚え、厳格な自己自制を訓練し、詳細に十分の一をささげ、ほとんどの時間を神に「仕えること」に費やし、信心深い者としての評判を楽しんでいたであろう。しかし彼は神を愛していなかった。

一方、自分の恥ずべき罪以外ささげるものが一切なかったこの女性を、イエスはまことの礼拝のモデルだと言われた。なぜか?それは単純に、福音にあるイエスがすすめられる赦しを、女がどれだけ必死になって必要としており、そして主がそれをお与えになることができると信じたからであった。

それがイエスの求められるものである。それが救いにいたる信仰である。

まことの礼拝とは、神に対する熱烈な愛である。私たちのような罪人にとって、その愛の燃料は、深い認識である。元奴隷商人で、牧師に変わったジョン・ニュートンのことば、「私は大変な罪人で、キリストは偉大な救い主であられる」のことばに、それを見出すのである。(ブログ者訳)

2009/08/01

クリスチャン公開処刑―北朝鮮

7月24日のニュースで、3児の母であるリー・ヒョンオク(33歳)という女性が、聖書を配布した罪と、米国と韓国のスパイ容疑で、中国の国境近くに位置するリョンチョンという地域で、今年6月16日に公開処刑されたということです(クリスチャン・ポストより)。ヒョンオクさんの夫、子供たち、両親も、姉妹が処刑された翌日、政治犯刑務所に送られたそうです。北朝鮮では現在でも、聖書を所持している者は、発見された場合、強制収容所に送られるか、公開処刑を受けます。韓国に亡命した北朝鮮人らの中で、救われ、福音を同邦人に伝えたいと母国に帰って行く者たちがいるというニュースを聞いたことがありますが、まさに、死を覚悟での帰国です。

どうぞ、ヒョンオクさんの残されたご家族の上に主の慰めがあるよう、また収容所で守られるよう、命を掛けて聖書を配布したヒョンオクさんのご家族が、ヒョンオクさんの信仰を受け継ぎ、収容所で光となることができるよう、北朝鮮の兄弟姉妹らが厳しい迫害の中でも強められるように、また福音がとどまることなく更に北朝鮮全土に広められ、国家のリーダーたちの耳まで届くよう、覚えてお祈り下さい。

我らの神は生ける神

カンポットではひたすら雨が降り続いています。カンボジアの南部では洪水警報が出ているそうです。


教会牧師、ヴター先生の運営している孤児院の隣に、数週間前ヨーロッパ人が引越してきました。最初は問題もなく隣同士うまくやっていたそうですが、ある些細なことをきっかけにそのヨーロッパ人が憤慨し、牧師に悪口雑言を言うようになり、果ては師が孤児たちに暴行を加えていると近所に噂をふりまき、警察と裁判所が関わってくるほどの大事に発展しました。朝、昼、晩と、塀の向こうからキリスト教の神がいかに悪いかを叫んでいたそうですが、2週間と立たないうちに、そのヨーロッパ人の息子が川で溺れて事故死、本人も息子の遺体を抱えて家に戻った丁度その日、屋内で毒蛇に咬まれ、引越してきたばかりの家を手放すことになりました。近所ではキリスト教の神に対する恐れが起こり、私たちクリスチャンの間でも、主のみ力をこの目で拝見し、改めて畏敬の念に包まれています。

「生ける神の手の中に陥ることは恐ろしいことです。」―へブル10:31