2006/12/31

義の武器として

新年あけましておめでとうございます
今年は新しい家族が加えられ、また一段と違った新年を迎えることができました、主に感謝です。今年はローマ6:13から、「あなたがたの肢体を不義の武器として罪にささげてはならない。むしろ、死人の中から生かされた者として、自分自身を神にささげ、自分の肢体を義の武器として神にささげるがよい。」のみことばを一年の目標として前進していきたいです。去年に引き続き、主が働いてくださることを信じます。日本の皆様の一年が主によって豊かに祝福された一年でありますように。

2006/12/24

メリークリスマス!

ユリにとって初めてのクリスマス、私たちにとってユリが与えられて初めてのクリスマスです。今年のクリスマスは私がまだ産後の回復の途中ということで、家族で家でゆっくり過ごすことにしました。今年のプノンペンは去年と全く違い、どこもかしこもクリスマスの飾り付けで大変賑わっています。カンボジア人たちも、クリスチャンを除いて、クリスマスが何なのかさっぱり分からないけれど祭り気分でクリスマスの飾り付けに興奮気味です。

2006/12/22

聖書学校クリスマス会

聖書学校恒例のクリスマス会です。一番の見どころは各学年による出し物です。今年はお笑いの寸劇をした2年生が優勝しました。このクリスマス会、学生達にとっては奉仕で忙しいクリスマスの時期の、ちょっとした楽しみです。

2006/12/10

献児式

今日は生後3週間目の娘の献児式を、義父の司式によって行ないました。この義父ですが、2年前から心臓のバイパス手術を何度か繰り返し、また前立腺の手術も受けたりし、医者から「もう余命は長くはないだろう」と言われていたのですが、今回私たちの希望で義父に献児式を執って欲しいとお願いしたところ、長距離の旅行は控えていたにも関わらず、わざわざ遠いところから来てくれたのでした。ですので私たちの感謝もひとしおでした。「この子が主に献げられたものと認識して子育てをしなさい」-主の憐れみを仰ぎます。

2006/12/08

マシューの両親来訪

マシューの両親が新しい孫の顔を見に、遥々テキサスからカンボジアにやってきました。テキサスは今真冬。カンボジアのこの、涼しくなったとはいえ日中最高気温32度にはさすがに参っていました。この10日間主が両親の健康を守ってくださいますように。

2006/11/27

初めまして、エイカース ユリです

誕生後10日目の娘です。私の去年亡くなった祖母の名を取って、名前をユリとしました。良く飲み、良く寝、良く泣きます。おっぱいをあげるのとおむつを変えるので私の一日は過ぎていっているような状態です。体験してみないと分からない親になることの責任の重大さを、ほんの少しですが教えられています。主から賜った子です、主に教えられて育てていきたいです。

2006/11/18

カンボジアで宴子が出産に挑んだ(主に栄光!)

出産を終えた日の翌朝です。妊娠から出産まで、全ての過程において主の御手があったことを身をもって体験しました。主のお許しがなければ無事にこの子を出産することもできませんでした。ただただ主に栄光、です。祈ってくださった日本の教会の皆様、主が皆様の祈りにこたえてくださいました。本当にありがとうございました。

2006/11/17

カンボジアで宴子が出産に挑んだ(その6)

生まれたばかりの初孫を手にする母です。今回あらゆる痛みを乗り越えて生んで育ててくれた母に対する尊敬の念が、一段と強くなりました。母は強し、とは本当です。
カンボジアで出産して一番予想外だったのは、出産後の処置でした。日本では出産後、後陣痛なるものが来て胎盤が自然と出てくると本に書いてあったのですが、ここカンボジアではその後陣痛を待たず、手を子宮の中にいれて胎盤をかき出していました。また会陰切開の処置も、手術の様子を見ていた看護婦の姉によると日本のとは違い・・・想像を絶する痛さでした・・・

カンボジアで宴子が出産に挑んだ(その5)

赤ちゃんの頭が旋回せず、このままだと帝王切開になるかも知れないと言われ、「帝王切開だけはさせないで下さい」と祈りながらいきむこと約30分、午後5:27分、赤ちゃんが無事誕生しました!ロシア人形のようにぐるぐる巻きにされた赤子の前の、マシューのこの嬉しそうな顔、見てください。この後、私は出産後の処置で苦しんだのですが・・・

カンボジアで宴子が出産に挑んだ(その4)

歩くこと約40分、ようやく分娩室に連れていかれました。いよいよ分娩です。曲がりなりにも出産の本を読んで勉強していた私、指示があるまでいきまないようにと書いてあったのを思い出し、一生懸命いきみをのがしていたところ、「あんたはいきみ方を知らないから、今からどうやっていきむのか、教えるからね」と、最高の陣痛で苦しんでいる私にいきみ方の指導が始まりました。どうやらカンボジアではいきんで子宮口を全開にするようです。ところ変われば、です。

カンボジアで宴子が出産に挑んだ(その3)

2階の分娩室へ案内され別の助産師が子宮口のチェックをしたのですが、「あーまだまだよ、もっと歩きなさい!」と一言。病院の中でも1分間隔で来る陣痛の波に耐えながら、ひたすら歩き続ける私です。これは少々辛かった。

カンボジアで宴子が出産に挑んだ(その2)

午後4時前に陣痛が5分間隔になり、急いで病院へ。早速分娩室へ案内され、子宮口の開き具合をチェックします。初めて入る分娩室に少し緊張気味です。「ああ、もう頭が半分までおりてきている!」それが何を意味しているのか分かっていない私に、急いで別の分娩室へ行くよう助産婦が指示します。

カンボジアで宴子が出産に挑んだ(その1)

11月18日、予定日より6日遅れた土曜日の朝4時、陣痛が始まりました。「いよいよだ!」マシューは陣痛が始まったらすぐに病院に行くものと思っていたようで、朝5時から出かける用意をしていました。あまり早く行くと帝王切開させられるので、最後の陣痛5分間隔になるまで病院に行ってはいけないとの指示を受けていた私は、陣痛が始まってから、カンボジアの出産の定番サロンを着て家の中をとにかく歩きまくりました。歩いてお産を早めるのだそうです。

2006/11/11

母と姉来訪

母と姉が仕事の休暇を取って、私の出産を助けるためわざわざ日本から来てくれました。力強い助っ人です。二人が来てくれたことで、今回私がどんなに励まされたか、主に心から感謝です。女3人、久々の再会に話が尽きません。今日は私のリクエストで母と姉が手作りの餃子を作ってくれました。久々の"おふくろの味"、おいしかった!

2006/11/10

部長ら来訪

7日~10日にかけて、海外伝道部長であられる保先生と本田先生が多忙なスケジュールの合間を縫って来訪されました。私たちのカンボジアでの来期の計画について重要な話し合いがもたれたのですが、先生方にお越しいただいて話し合いができたことが、とても感謝でした。写真は独立記念日の花火大会で大変賑わっているトンレサップ湖の前で、カンボジア・アッセンブリー宣教師団フィールド・コーディネーターのケン・ホフ宣教師と夕食の後です。先生方、遠いところまで来てくださりありがとうございました。

2006/11/04

妊娠38週目

しばらくブログを休んでしまいました。妊娠38週目に入りました。すっかりお腹も大きくなり、歩き方も一人前の相撲取りのようになりました。20週目あたりに取ったエコーによると、今月12日が出産予定日です。さて、予定日どおりに出産になりますでしょうか・・・

2006/10/17

ローマ書

CBI(教団聖書学校)のローマ書のクラスが始まりました。今回は3週間の集中講義です。1年生28名受講の大きなクラスです。中々理解するのが簡単ではないローマ書、私たちも準備に少し手間取りました。でも私たちが学生たちに理解させるのではない、主の御霊が、私たちが頼ることによって、学生たちに理解させてくださるのだと信じて祈り備えてきました。御霊の働きに大いに期待します。

2006/10/16

万事を益とされる主

早朝デボーションをしていた矢先、突然電話が鳴り「○○先生のお嬢さんが突然亡くなったらしい、今から先生のところに行くが、一緒に行くか」と連絡がありました。聞くと、私たちが親しくしているタケオ州の牧師の12歳の娘さんが、体調が悪く病院に行って注射を受けたら益々症状が悪化し、乗り合いタクシーで約80km離れたプノンペンの病院に運んでいる最中に息を引き取ったとのこと。しかも「死人を運びたくない」とタクシーから途中で降ろされ、その牧師はどうしていいか分からず30分ほど人影さえ無い道端で立ち往生してしまったとか。つい一ヶ月前に会った時にお父さんに身を摺り寄せて甘えていた娘さんのその姿を思い出し、私たちも胸が詰まりました。「主が間違いなく癒してくださる」と信じていたに違いありません-私たちが分かるのは、「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さること」(ローマ8:28)です。主の慰めがご家族にありますように。

2006/10/14

ベビーシャワー

アッセンブリー教団宣教師団の女性、夫人たちが私たちの生まれてくる子のために『ベビーシャワー』なるものを開いてくださいました。哺乳瓶やおむつなどの必需品から手作りのキルトやお下がりの洋服まで、色々な物をくださり、思いがけない主の恵に心から感謝しました。

2006/10/09

チュロントンレー(川を渡る)

メコン川の向こう岸から眺める王宮です。
妊娠35週目に入りました。この9ヶ月、あっという間に日が経ってしまったと思っていたのですが、最近、この最後の一ヶ月がなんと長いことか、と思うようになりました。カンボジアでは出産のことを「チュロン・トンレー」と言います。「チュロン」=「渡る」、「トンレー」=川と言う意味です。出産のことを非常にうまく表現した言葉だとつくづく思います。私もこの壮大なメコン川の向こう岸へ間もなく渡ろうとしています。

2006/09/21

神の国の拡大

最近よく話題にのぼるイランですが、今、政府がクリスチャンに対する圧力を益々強化していますが、圧力を強めれば強めるほどクリスチャンになるものが増えており、政府が手を焼いているそうです。一ヶ月ほど前の『殉教者の声』で読んだ記事ですが、今年7月のある日曜日、礼拝を主にささげていた最中、警察に家宅捜査に入られ突然逮捕・拷問され刑務所に入れられた出稼ぎのエチオピア人クリスチャン2人が、その刑務所で多くの受刑者たちから「キリストのことを教えて欲しい」と言われ、拷問された傷跡の痛みも忘れて無我夢中で福音を語ったと、「福音を聞いた受刑者たちの救いのために祈って欲しい」と、強制送還された後に母国の教会で証をしたそうです。クリスチャンに対する迫害を益々強めている中国でも、今だかつて無かったほど数多くの中国人が救われているという話を聞いています。主の御霊は人間の制限を越えて世界各地で起こっており、神の国は益々拡大しています。主の再臨に備えて、益々燃やされて福音を伝えて行きたいです。

この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終りの日が来ます。」-マタイ24:14

お祈り感謝

世界のクリスチャンに起こっている出来事を週ごとにアップデートして伝える『殉教者の声(The Voice of Martyrs)』で得た情報ですが、以前祈っていただいた、イラン・アッセンブリー教団の牧師で背教・スパイ行為等の罪で起訴されテヘランの刑務所で服役していた、ハミッド・ポーマンド先生が7月20日付けで何の説明もなしに、礼拝に出席していはいけないという条件付きで突然釈放されたということです。お祈りを感謝します!でも過去イラン・アッセンブリー教団牧師で投獄された牧師3人とも、釈放された後に何者かに殺害されているそうなので、引き続き、ポーマンド先生とそのご家族が守られるようにお祈りください。

2006/09/18

プチュンバン-カンボジアのお盆(3)

寺の入り口で寺に供えるための花を買っている若い女の子たちです。この15日続く、カンボジアのお盆ですが、クリスチャンにとっては大きな試練の時であり、またキリストを証する絶好の機会の時でもあります。特に家族、親戚中が仏教徒のクリスチャンにとっては、主に助けを仰がずしては過ごすことのできない時期です。今月は日曜日ごとにそれぞれの教会が、御霊に押し出されて実家に戻り、キリストのかおりを家族の中で放つことができるよう、教会員たちのために祈り、励ましています。私たちの仕える主は大いなる主、迫害をさえ乗り越えさせてくださる主です。キリストの光がカンボジア全土で益々光輝くよう、この時期、カンボジアのクリスチャンたちと共に祈っています。

プチュンバン-カンボジアのお盆(2)

寺の僧侶に供える食べ物で最も一般的な食べ物が写真の『ノムボンスーン』と言われる、"まるめたご飯"です。常夏のカンボジア、せっかく炊いた白飯もあっという間に腐ってしましますが、このノムボンスーンはココナッツミルクで炊いたもち米に豚肉や豆などを詰め、もちの葉で巻き寿司のように巻いて竹筒で蒸したもの、日持ちも良く、市場でも売っていますが、特にこのプチュンバンの時期にそれぞれの家庭で作り、寺に持って行ったり、遠隔地から集まった家族で共に食べたりします。常夏の国ならではの保存食品です。日本のおこわのおにぎりを思い出させるものがあり、私はこのノムが大好きです。

プチュンバン-カンボジアのお盆(1)

今月8日からカンボジアのお盆、『プチュンバン』が始まりました。カンボジアではクメール正月の次に大切な祭りの日だと言われています。写真は私たちの近所のランカ寺にいそいそと家族で出かける人たちです。日本にもお盆はありますが、違うのは、カンボジアのお盆は15日間であることと、それぞれの家庭や一族の代表が僧侶に食べ物を供えるため寺に出かけること、それによって僧侶に、祖先の供養、一年の家内安全・商売繁盛を祖先たちに祈願してもらうという慣しです。できるだけ多くの寺にでかけるとそれだけ効き目があるようで、私たちのクメール語の先生などはこの15日間でほとんど毎日違う寺に出かけています。最終日15日はこの15日間で寺にすでに出かけた人もまだ出かけていない人も、貧しい者も富める者もすべて寺に出かけなくてはならないそうで、この最終日が一番重要な日にあたるのだそうです。

カンボジアA/G理事会、宣教師団合同会議

今日はカンボジア・アッセンブリー教団理事会と宣教師団の恒例の合同会議がありました。今回はコンポンチャム州で起こっている政府の教会に対する圧力が主な議事でした。コンポンチャム州は地名通り、チャム族(カンボジアイスラム教徒)の地で、そのためか、政府の教会に対する規制が他の州よりも一段と厳しく、アッセンブリー教団の孤児院が早いうちから設立されたにも関わらず、数年前に立ち退きをしなければならない状況に追いやられたこともあるほどです。私たちの大きな祈りの課題の地でもあります。

2006/09/14

キリストを仰ぎ見つつ

今年1月に買った蘭が開花しました。常夏のカンボジアでは大した手入れをしなくても、ちゃんと開花します。1ヶ月ほど前から待ちわびていたこの蘭が開花した今日、マシューの祖母が昇天しました。脳出血を起こして倒れてから32時間という、あっという間の出来事でした。後数日で87歳だったということですが、アメリカでは長生きした方だとマシューは言います。20年前に先立たれた夫に瓜二つのマシューを、どの孫よりも一番可愛がった祖母でした。私の祖母も去年1月、93歳の誕生日を迎えて昇天しましたが、いつも思うのは、クリスチャンの死は希望である、ということです。なぜなら「肉体を離れ」ることは「主と共に住むこと」だからです(IIコリ5:8)。祖母昇天の連絡を受けて以来、ヘブル12:1、2のみことばが私たちの頭から離れません。

こういうわけで、わたしたちはこのような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の右に座するに至ったのである。-ヘブル12:1,2

2006/09/12

妊娠30週目

妊娠30週目に入りました。最近では「太ったね、食べすぎなんじゃあない?」と近所の人や市場のおばちゃんたちに言われなくなりました。妊婦姿が板についてきたのではと思っています。最近知ったのですが、ここカンボジアの産院は休日には医者がしっかり休暇をとるとのこと、休日に産気づいて病院に飛んで行っても、出産を待たされるのが当たり前だということです。もしどうしても出産をその日にしたいのならば、お金を余計に払わなければならず・・・何と、私の出産予定日ですが、実はカンボジアの最も大きなお祭りの一つである水祭りのあたりになっています。その話を聞いて主が出産予定日にも働いてくださるよう祈り始めました。

フィリピンからの来客

私たちがアジア太平洋神学校(APTS)に在学中、学校長であられたジョン・カーター先生が、カンボジア・アッセンブリー教団聖書学校の視察のため、プノンペンに3日間の滞在で来られ、今日、カンボジアで宣教活動をしているAPTS卒業生全員が、先生を熱くお迎えしようとプノンペンに集合しました。私たちがAPTSを卒業して約5年になりますが、カーター先生、全く変わっておられません。先生のクラスがいかに大変だったか、また世界各国で活躍している私たちの同級生たちの近況などを先生からお伺いしたりして、恵まれた交わりの時を持ちました。

2006/09/09

プノンペン王立大学日本語コース卒業式

私たちのクメール語の先生、セティー先生に招かれて、今日はプノンペン王立大学外国語研究所日本語コースの卒業式に出席してきました。現在JICAの支援の下にあるこのコースですが、実は約20年前からこの大学では日本語を教えているそうです。今回の卒業生は14名。4年生(卒業生)と3年生の数名が代表でスピーチをしたのですが、4年生の日本語はかなりのものでした。休憩の合間、JICAの代表の方と少しお話をする機会があり、その方が「カンボジアの若者の語学能力は大したものだ」と言っておられたのですが、まさにその通りだと思わされた卒業式でした。

2006/08/24

カンボジア・アッセンブリー教団教職修養会

22、23日と二日間、カンボジア・アッセンブリー教団教職修養会がプノンペンのドムナン・ロオー教会で開催されました。カンボジアの各地から牧師たちが集まり、共に交わり、み言葉に聞き、祈る機会が与えられました。この1年半で沢山の教職と顔見知りになったと思っていたのですが、今回は寧ろ顔見知りでない先生方の方が多く、驚きました。来週の月曜日からは第2回目のユース・キャンプがコンポン・ソム州で開催される予定で、今回修養会に参加された牧師たちも、教会の若者を連れてキャンプに参加される予定で、そのためにも特別に祈りの時間が設けられました。キャンプには約400人の13歳から17歳までの高校生が大集合する予定です。御霊の働きに大いに期待します。

2006/08/10

クメール語学習

私たちのクメール語学習、「クメール語を自由自在に話せるまで最低7年はかかるよ!」と他の宣教師たちに脅かされ、また励まされながら、まだまだ続いています。読み書き、会話が上達するのに合わせて、私たちのクメール語の先生に対する要求も次第に高くなってきました。今回祈って6月から与えられた新しい先生は御年49歳、厳しいポル・ポト戦争時代を通り、何とカンボジアが共産国時代に旧ソ連の支援でモスクワに一年、4年前にはJICAの支援で日本は北九州に一年留学したことのある、カンボジアでは珍しく国際経験豊かなプノンペン王立大学で言語学を教えている先生です。本職が先生なだけあって、教え方も本格的です。大変熱心な仏教徒ですが、この先生とご家族が救われるように祈っています。

2006/08/07

田んぼのど真ん中の教会

「『キリストのからだ』についてメッセージをして欲しい」との依頼を受け、6日、先日献堂式が行なわれましたタケオ州のクルオサー・プレクリッ教会に行って来ました。この教会、実は広大な田んぼのど真ん中にある教会で、「こんな何もないところに果たして人が集まるのだろうか」と思いきや、礼拝、聖書勉強会、祈祷会が始まる前にはどこからともなく信徒たちが湧いて来るとても不思議な教会です。最近救われたばかりの女性が、自分の田んぼがあった土地を教会に捧げ、教会堂が建てられました。日本ではとかく教会の立地条件を気にしますが、カンボジアではあまり問題になりません。人が集まれば、それで既に教会なのです。キリストを頭として、益々この教会が成長しますように。

2006/08/02

妊娠24週目

32回目の誕生日を迎えました、主の32年にも渡る憐れみと恵を心から感謝します。32歳になる今日、定期検診に行ってきました。お腹の子も早いもので、24週目を迎えました。順調に育っています。最近、このブログを読んで下さっている教会員で、産婦人科医であられる先生から、「もし私に何かできることがあったら・・・」とメールを頂き、大変驚いたのと同時に主に心から感謝しました。カンボジアの出産にまつわる怖い話をちらほらと耳にしており、不信仰に陥りそうになっていた矢先のことでした。その先生に色々教えていただきながら、「心を尽くして主に信頼せよ」との箴言3:5,6のみ言葉が頭の中を駆け巡っていました。主の戒めを心から感謝します。

2006/07/27

日本からの来客

21日から26日まで、須崎キリスト教会の柿谷悟先生と、サンライズのぞみ教会の松浦和也君がお二人で私たちを訪ねてカンボジアに来てくださいました。先生方がはるばる日本からお越しくださったことだけでも感謝だったのですが、一番感謝だったのは、シェムリアップにいるニホンちゃん(写真左から二番目)とその一家の食卓で先生方が家族のために祈ってくださったことでした。何とキリストの話を毛嫌いしていたお父さん(ニホンちゃんのおじいちゃん、写真右端)が、柿谷先生が家族のために祈りを捧げることを快く許して下さったのです。主が先生方を最善の時にカンボジアに送ってくださったと、心から感謝しました。主に栄光がありますように。益々主に励まされてこの家族のためにとりなししていきます。

2006/07/17

カンボジアの希望

タケオ州にあるアッセンブリー教団設立の私立小学校の子供たちです。公立の小学校と違うのは、毎日聖書を勉強する時間があることです。教室から聞こえる子供たちの元気な賛美が、主の耳にどんなにか喜ばしいものだろうと、思わず笑みがこぼれます。どこの国でもそうですが、カンボジアも、子供たちは将来の希望です。戦争を知らないで育ったこの世代の子供たちの中で、主がカンボジアの全土、そして海外に福音を携えて出て行く、主にだけ仕える者を起こされ、主のみ国をこの地に拡大されるように、切に祈ってやみません。

幼子らをそのままにしておきなさい。わたしのところに来るのをとめてはならない。天国はこのような者の国である。」-マタイ19:14

2006/07/16

クルオサー・プレクリッ教会献堂式

今日はタケオ州にある、クルオサー・プレクリッ教会の献堂式に呼ばれて行ってきました。タケオ州の教会の一番の問題は、教会員が沢山いても中々教会堂が建たない、というところにあります。住民の大半が農業従事者か小中学校生で構成されており、家族の経済を支えることのできる者たちがプノンペンに出稼ぎに出て行くからです。そこで活躍するのが宣教師団です。母国に巡回などで帰省している宣教師たちと提携して教会堂を建て挙げるための資金を集めます。カンボジアの教会の素晴らしいところは、「○○国アッセンブリー教団建設」というラベルを教会に貼り付けないところです。支援した国も教会にそれを求めません。捧げることの出来る者たちが捧げ、建てることの出来るものたちが建てる、どちらもキリストのからだを立て上げる働きです。今回も惜しみなく捧げる者を主が米国に起こして下さり、タケオ州に4教会の会堂が一斉に建てられ、建てることの出来るものたちが共に集まって主の御名を賛美しました。主に栄光!

2006/07/14

カンボジアの妊娠・出産にまつわる言い伝え(その2)

ドアを開けたまま走っている電気会社のトラックです。日本ではまず見かけることの無い風景です。
ある日のこと、いつものように聖書学校に到着したら、 女子生徒たちが私のところに走りよって来るので、「私は人気者なんだ」と自分に酔いしれようとしたところ、「ニャックルー(先生)、妊娠している時はズボンをはいちゃだめだよ、子供が窒息してしまうよ!」とまるで何か大変なことが起こったかのように数人の女子生徒が咳き込んで言うではありませんか。22週目に入った私は、現在妊娠8ヶ月目のいとこからおさがりでもらった、妊婦用のストレッチ・ズボンをいつもはいていますが、ここカンボジアでは妊婦はみな『クマーエ・サンポット』という、伝統的なスカートをはいて妊娠期間を過ごします。ズボンは胎児に窮屈な思いをさせる、という考え、良く分かりますが、何せ信号機があっても守る人があまりいないプノンペン、スカートをはいてオートバイの後ろに横座りして交通事故に遭うより、ズボンをはいてしっかりオートバイに跨り運転手が事故を避けやすいように走ってもらった方が賢明だと思ってしまうのは日本人的な考えかもしれません。

2006/07/11

お祈りください2

以前数教会と兄弟姉妹にお祈りをお願いしていました、背教・スパイ行為・その他諸々の罪で起訴され現在投獄されているイラン・アッセンブリー教団の牧師、ハミッド・ポーマンド牧師の近況を米国アッセンブリー教団誌で得ましたのでこのブログでご報告します:
ハミッド先生ですが、起訴状の背教の罪が無罪になりました-イランではイスラム教からキリスト教に改宗すると死罪にあたるそうで、この無罪はまさに主の働きです、お祈りを心から感謝します!まだスパイ行為、その他諸々の件の審判は出ておらず、現在首都テヘランの刑務所におられるということです。イラン・アッセンブリー教団は1979年の革命以来、既に4人の牧師が拷問、投獄、釈放を受けた後、殺害されているそうです。教会にとっては痛手ですが、神の国がこの誠実なクリスチャンたちによって拡大していることは間違いありません。主の御霊の働きで、改宗は死を意味するこのイランで、次々と救われるものが起こされている証も聞いています。ハミッド先生のため、先生のご家族、教会の兄弟姉妹のため、イランのクリスチャンのため、また迫害しているものたちの救いのため引き続き覚えてお祈りください。

お祈りください

私たちのニュースレターでもお祈りをお願いしています、腎臓病で数年闘病生活を送っています、先日受洗したリーさんの弟、ホウイット君ですが、実はお姉さんに「イエス様のことをもっと知りたい」と言い始めたそうで、リーさんが教会にホウイット君を導くようになりました、ハレルヤ!主の救いと癒しがなされるよう、またリーさんの家族全員の救いのため、引き続きお祈りください。

2006/07/01

カンボジアのリバイバルのために

今日はカンボジアのために祈る日で、プノンペンでは教団教派を超えた祈祷大会があり、何と500人以上のクリスチャンたちが共に集まって、カンボジアのリバイバルのために共に祈りを捧げました。世界では今、グローバル・デイ・オブ・プレイヤー(Global Day of Prayer)と言い世界のクリスチャンが一つになってそれぞれの国のリバイバルのために共に祈ろうという日があり、それに応答する国が少しずつ増えてきていますが、中には国家大統領やリーダーたちがその日の祈祷大会を先導する国もあります。主が世界でとりなしの祈り手を起されていることを実感させる運動です。カンボジアの全てのクリスチャンが主の前にへりくだって主を求めるならば、カンボジアもその内、国家首相が率先して祈祷大会を開き、国を主に捧げる日が来るかもしれません。人間の弱さにではなく、できないことが何一つ無い主に期待します!

わたしの名をもってとなえられるわたしの民が、もしへりくだり、祈って、わたしの顔を求め、その悪い道を離れるならば、わたしは天から聞いて、その罪をゆるし、その地をいやす。」-歴代志下7:14

2006/06/28

A/G宣教師団・理事会合同会議

今日はアッセンブリー教団宣教師団代表者と理事会合同の会議がありました。今カンボジア・アッセンブリー教団は教会数が増え教団そのものが成長するにつれて、様々な事柄の交通整理をしなければならない時期に来ています。例えば教区の成立、理事会選出の選挙法の成立、牧師・教会認定法の成立、教団各部の成立等・・・様々な課題があります。理事会が宣教師団にそれらの課題に関する意見を求めて開かれた会議ですが、何せ世界8カ国の様々な背景を抱えている宣教師で構成されている宣教師団ですので、意見も様々で会議もとてもユニークです。この教団が御霊に導かれて成長・発展することを切に祈ってやみません。

2006/06/25

カンボジアの妊娠・出産にまつわる言い伝え(その1)

コンポンソム州で訪ねた家で見かけた赤ちゃんです。カンボジアではハンモックはどこの家にもあり、赤ちゃんのゆりかごとしても使われています。日本でも妊娠・出産にまつわる言い伝えは色々ありますが、ここカンボジアでも様々なものがあります。まず一つ・・・私が妊娠したことを知って、赤ちゃんを抱えているお母さんが必ずするのは、私に赤ちゃんを抱えさせ、もし赤ちゃんが私のお腹で立てば男の子、立たずに足を曲げる場合は女の子が生まれる-というものです。写真の赤ちゃんのお母さんも私にそれをしました。私が赤ちゃんを抱えたとき赤ちゃんが足を曲げたので、「あ、女の子が生まれるよ!」とお母さんは確信して言っていました。さてさて、その診断はいかなるものか・・・

2006/06/23

マシューの弟夫妻カンボジアに来る

マシューの弟夫妻が夏休みを利用して、12日から21日までの約10日間カンボジアに来てくれました。写真で背が高い二人がマシューの弟夫婦です。去年も夏休みに二人で来てくれたのですが、今回の二人は去年とは比較にならないほどカンボジア宣教に多大な興味を示しており、私たち二人を驚かせました。奥さんのソニアさん曰く、「カンボジアが私たちの人生を変えた」とのこと。主の御名を褒め称えずにはいられませんでした。

2006/06/12

妊娠17週目

「無事出産できるよう祈ってるよ!」とブログを見てくださってお声をかけてくださった先生方、教会の皆様、ありがとうございます。今17週目で、順調に育っています。17週目にしては妙にお腹が大きいような・・・11月18日が当初の出産予定日だったのですが、通院している先の医者は前回の検診で、11月5日が出産予定日、もしかすると10月下旬に出てくるかもしれない、と確信しています。私は皆様のお祈りで無事出産できること間違い無し、と確信しています。この子を与えて下さった主に信頼します!

2006/06/11

タケオ教区教区長選出選挙

タケオ教区の教区長選挙があるので来ないかと誘われ、土曜日の朝早くタケオに出かけてきました。約50人の牧師たちが集まり、教区長を始め5人のリーダーたちを選出しました。手前に座っておられるのが今年度選ばれた教区のリーダーたちです。カンボジア・アッセンブリー教団にはまだ教区なるものがありませんが、このタケオ教区だけは他の州に比べ群を抜いて教会数が多く、2,3の教会が同じ村で教会開拓をしたりなど混乱が州内に起こったため、宣教師たちの助言により教区のリーダーを立てて交通整理をするようになったそうです。現在政府に登録されている教会がこのタケオ教区だけで15教会あり、登録されていない教会も含めると、カンボジア・アッセンブリー教団の総教会数の3分の2にもなると言われています。献身者が大変多く、毎年少なくとも5人の献身者を聖書学校に送っています。主の御霊の働きを間近で見ることができる教区です。カンボジアの希望です。

2006/05/21

ラタナック君の救いの証

バッタンバンの教会で、ある男の子に出会い素晴らしい証を聞きました。写真右はラタナック君(21歳)です。カンボジアでは親が学校に行かせる経済的ゆとりがなく、仏寺に入れられ、そこで僧侶の様々な世話をしながら文字を学んだり食べさせてもらうという子供が多くいます。大変貧しい家庭で育ったラタナック君もその一人でした。7歳の時に仏寺に入れられ、育ったのですが、昨年春頃からバッタンバン教会の礼拝に、友達に誘われて出かけるようになりました。昨年5月にカンボジア・アッセンブリー教団で初めて行なわれた、ユースの夏期キャンプに参加、そこで何と聖霊のバプテスマを受けます。御霊の働きによって人生の全てが逆転、教会の礼拝賛美の奉仕をするまでになりました。ところが、すっかり人間が変わって地元に帰って来たラタナック君を待ち受けていたのは、仏寺の人たちによる激しい迫害でした。苦しい中を通って昨年12月に受洗、今年1月から、教会がラタナック君にセキュリティーガードの仕事を与え、仏寺を出て、教会に住むようになりました。現在なんとセルグループのリーダーをしています。「救われてこんなに嬉しいことはない、僕の人生はイエス様のものだよ!」喜びを隠せないと言わんばかりに私たちに語ってくれたラタナック君の話を聞きながら、主の御名を賛美せずにはいられませんでした。

2006/05/20

バッタンバン・アッセンブリー教会

訓練会が全行程終了した翌日の日曜日、バッタンバン教会で礼拝奉仕の以来を受け、ヨシュア記一~三章から、「主の働きを妨げるもの」という題でマシューがメッセージを語りました。この教会ですが、色々な意味で今転換期におかれており、教会全体が一つになって主を求めています。宣教に対する熱い思いを抱えるこの教会が、バッタンバン州のみならずカンボジア全土において力強く前進しキリストの福音を各地にもたらす教会になることを信じて疑いません。

あなたがたは身を清めなさい。あす、主があなたがたのうちに不思議を行なわれるからである。」ヨシュア3:5

セルグループ

2ヵ月半続いたバッタンバン・アッセンブリー教会での教会リーダー訓練会が、20日土曜日で終了しました。最後の訓練会で私たちを快く受け入れて下さった教会の皆さんにご挨拶をと思い、私もマシューと一緒に出かけてきました。授業の終わりに、一人一人がどのようなことをこの2ヵ月半で学んだかを語ってくださいました。皆さんが口を揃えて言ったのは、「主の前にへりくだらされた。」でした。訓練会に出席したリーダー全員が、訓練会で学んだことをセルグループで適応しており、御霊が一つ一つの授業に働いて下さったことを実感しました。

2006/05/02

定期検診

現在妊娠11週目です。今日は2回目の妊娠定期検診に行ってきました。3月に検診したときはただの黒点だったのが、今回は頭にくっきりと鼻と口を見ることができ、思わず感動してしまいました。主の創造の偉大さを身をもって体験しています。貴重な体験です。日本では妊娠が判明したら毎月定期検診をすると聞いたのですが、私の出かけた地元の病院では2ヶ月に一回でいいと言われました。体重測定、血圧測定、貧血検査、その他諸々の検査は一切なし、エコーを取って「はい、上等」です。楽です。

2006/04/30

バスの旅

妊娠のため長距離の旅を控えるようになった私をよそに、マシューは毎週末バッタンバンに通っています。地元の長距離バスで5,6時間かかるこのバスの旅、赤髪の外国人ただ一人でカンボジア人にジロジロ見られながら、また時々冷やかされながら、カンボジア人たちと一緒にカンボジアのコメディーを鑑賞して時間を潰しています。最近はバスの乗員もこの赤髪の外国人に慣れてきて、荷物の上げ下ろしをお願いしてくるようになったとか。バスの旅が心地よくなってきている今日この頃です。

2006/04/16

復活祭

主キリストの復活を心から感謝します!
今年の復活祭は「日曜学校の子供たちにキリストの復活の話をして欲しい」と言われ、カンダル州キンスヴァーイにある教会に出かけてきました。マシューは初めて、全く通訳なしのクメール語で聖書の話をしました。果たしてどれだけ子供たちが分かってくれるか・・・心配は尽きなかったのですが、子供たち、一生懸命聞いてくれました。感謝!この子供たちが主に仕えるものに成長しますように。

ダビデの子孫として生まれ、死人のうちからよみがえったイエス・キリストを、いつも思っていなさい。これがわたしの福音である。」-IIテモテ2:8
よみがえってくださった主に栄光!

2006/04/12

クメール正月

クメール正月が始まりました。カンボジアではタイと同じく、4月に正月が祝われます。2月の旧正月よりも盛大に祝われ、人々は一斉にそれぞれの郷里に帰ります。実質3日間の正月ですが、多いところでは2週間の休暇を取って祝うところもあります。このクメール正月の見所は、毎年正月中のある特定の日、時間に"テヴァダー(天使)"がおりてきて、プノンペンの中心に建てられたその年の動物の像(今年は犬だそうです)に宿るそうで、今年も16日の朝6時頃だったでしょうか、人々はテレビに張り付いてテヴァダーが降りて来るのを今か今かと待っていたとか。私たちは今年のクメール正月はどこへもいかず、静かになったプノンペンでのんびり過ごしました。

2006/04/06

CBI学生断食祈祷会

CBI( 教団聖書学校)では毎週木曜日の午後、昼食を抜いての断食祈祷会が持たれています。強制ではないのですが、ほとんどの学生がこの祈祷会に出席します。10人ほどのグループにまとまって、それぞれの学生が祈祷課題を出し合い、共に祈りあいます。特に実践でカンボジアの各地に送り出され、教会開拓に励んでいる2年生のために祈る時には、1年生たちの祈りに火がつきます。カンボジアは今が収穫の時です!

わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえたげられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。」-イザヤ58:6

2006/04/04

新クメール語聖書到着!


一連のキリスト教団統一運動が原因で入国を拒否され続けた新クメール語の聖書が、ようやく入国を許可され、カンボジア聖書協会に到着しました!プノンペン港で待つこと約5ヶ月、交渉に交渉を重ね、ようやく政府に日本円で約300万円の関税を支払うという約束で入国許可が下りました。一時は聖書入手を断念しなければならないかと、カンボジアの教会全体が不安に陥りましたが、祈りに答えてくださった主に栄光!言語から訳された聖書が始めてカンボジア人たちの手に渡るようになりました。関税がかかり原価がカンボジア人にとって購入しがたい値段になってしまったのですが、カンボジア・アッセンブリー教団宣教師団は、米国・仏国の支援で約1万冊を購入、破格の値段でカンボジアの教会が購入できるようにしました。感謝します!

2006/04/01

元ヒンズー教徒の救いの証

私の左手に座っている女性ですが、マレーシアの教会から遣わされているアッセンブリー教団の宣教師で、カーラさんと言います。2ヶ月前にカンボジアに正式に宣教師として送られてきました。インド系マレーシア人で、救われる前はとても熱心なヒンズー教徒でした。お兄さんが家族の中で最初に救われたそうですが、このお兄さん、家族・親戚中の強い迫害を受けながらも、家族の救いのために祈り続け、カーラさんのお姉さんが教会に導かれ救われ、続いてカーラさん、そしてお母さんが救われました。お父さんは最後までキリストを拒否し続けたそうですが、亡くなる直前に病床で罪を悔い改め救われたそうです。迫害し続ける親戚のため、今も祈り続けています。最近ヒンズー教徒のクリスチャンに対する迫害が特にインド北部で強まっており、私たち二人でとりなしの祈りをしていた矢先に伺った素晴らしい証でした。ヒンズー教徒の間でも御霊の働きは誰にも止められません。益々期待して祈っていきます。