最近よく話題にのぼるイランですが、今、政府がクリスチャンに対する圧力を益々強化していますが、圧力を強めれば強めるほどクリスチャンになるものが増えており、政府が手を焼いているそうです。一ヶ月ほど前の『殉教者の声』で読んだ記事ですが、今年7月のある日曜日、礼拝を主にささげていた最中、警察に家宅捜査に入られ突然逮捕・拷問され刑務所に入れられた出稼ぎのエチオピア人クリスチャン2人が、その刑務所で多くの受刑者たちから「キリストのことを教えて欲しい」と言われ、拷問された傷跡の痛みも忘れて無我夢中で福音を語ったと、「福音を聞いた受刑者たちの救いのために祈って欲しい」と、強制送還された後に母国の教会で証をしたそうです。クリスチャンに対する迫害を益々強めている中国でも、今だかつて無かったほど数多くの中国人が救われているという話を聞いています。主の御霊は人間の制限を越えて世界各地で起こっており、神の国は益々拡大しています。主の再臨に備えて、益々燃やされて福音を伝えて行きたいです。
「この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから終りの日が来ます。」-マタイ24:14
アクセス・エイカース:キリストがこの身によって崇められることを願う私たちの日常生活、またはいい説教、あるいは世界のクリスチャンニュース等を紹介…「わたしが切実な思いで待ち望むことは、…生きるにも死ぬにも、わたしの身によってキリストがあがめられることである。」―ピリピ1:20
2006/09/21
お祈り感謝
世界のクリスチャンに起こっている出来事を週ごとにアップデートして伝える『殉教者の声(The Voice of Martyrs)』で得た情報ですが、以前祈っていただいた、イラン・アッセンブリー教団の牧師で背教・スパイ行為等の罪で起訴されテヘランの刑務所で服役していた、ハミッド・ポーマンド先生が7月20日付けで何の説明もなしに、礼拝に出席していはいけないという条件付きで突然釈放されたということです。お祈りを感謝します!でも過去イラン・アッセンブリー教団牧師で投獄された牧師3人とも、釈放された後に何者かに殺害されているそうなので、引き続き、ポーマンド先生とそのご家族が守られるようにお祈りください。
2006/09/18
プチュンバン-カンボジアのお盆(3)
寺の入り口で寺に供えるための花を買っている若い女の子たちです。この15日続く、カンボジアのお盆ですが、クリスチャンにとっては大きな試練の時であり、またキリストを証する絶好の機会の時でもあります。特に家族、親戚中が仏教徒のクリスチャンにとっては、主に助けを仰がずしては過ごすことのできない時期です。今月は日曜日ごとにそれぞれの教会が、御霊に押し出されて実家に戻り、キリストのかおりを家族の中で放つことができるよう、教会員たちのために祈り、励ましています。私たちの仕える主は大いなる主、迫害をさえ乗り越えさせてくださる主です。キリストの光がカンボジア全土で益々光輝くよう、この時期、カンボジアのクリスチャンたちと共に祈っています。
プチュンバン-カンボジアのお盆(2)
プチュンバン-カンボジアのお盆(1)
今月8日からカンボジアのお盆、『プチュンバン』が始まりました。カンボジアではクメール正月の次に大切な祭りの日だと言われています。写真は私たちの近所のランカ寺にいそいそと家族で出かける人たちです。日本にもお盆はありますが、違うのは、カンボジアのお盆は15日間であることと、それぞれの家庭や一族の代表が僧侶に食べ物を供えるため寺に出かけること、それによって僧侶に、祖先の供養、一年の家内安全・商売繁盛を祖先たちに祈願してもらうという慣しです。できるだけ多くの寺にでかけるとそれだけ効き目があるようで、私たちのクメール語の先生などはこの15日間でほとんど毎日違う寺に出かけています。最終日15日はこの15日間で寺にすでに出かけた人もまだ出かけていない人も、貧しい者も富める者もすべて寺に出かけなくてはならないそうで、この最終日が一番重要な日にあたるのだそうです。
カンボジアA/G理事会、宣教師団合同会議
2006/09/14
キリストを仰ぎ見つつ
今年1月に買った蘭が開花しました。常夏のカンボジアでは大した手入れをしなくても、ちゃんと開花します。1ヶ月ほど前から待ちわびていたこの蘭が開花した今日、マシューの祖母が昇天しました。脳出血を起こして倒れてから32時間という、あっという間の出来事でした。後数日で87歳だったということですが、アメリカでは長生きした方だとマシューは言います。20年前に先立たれた夫に瓜二つのマシューを、どの孫よりも一番可愛がった祖母でした。私の祖母も去年1月、93歳の誕生日を迎えて昇天しましたが、いつも思うのは、クリスチャンの死は希望である、ということです。なぜなら「肉体を離れ」ることは「主と共に住むこと」だからです(IIコリ5:8)。祖母昇天の連絡を受けて以来、ヘブル12:1、2のみことばが私たちの頭から離れません。
こういうわけで、わたしたちはこのような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の右に座するに至ったのである。-ヘブル12:1,2
こういうわけで、わたしたちはこのような多くの証人に雲のように囲まれているのであるから、いっさいの重荷と、からみつく罪とをかなぐり捨てて、わたしたちの参加すべき競争を、耐え忍んで走りぬこうではないか。信仰の導き手であり、またその完成者であるイエスを仰ぎ見つつ、走ろうではないか。彼は、自分の前におかれている喜びのゆえに、恥をもいとわないで十字架を忍び、神の右に座するに至ったのである。-ヘブル12:1,2
2006/09/12
妊娠30週目
フィリピンからの来客
2006/09/09
プノンペン王立大学日本語コース卒業式
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