娘が幼稚園に行き始めてちょうど一か月経ちます。毎日喜んで幼稚園に出かけて行く娘ですが、昨日ぽろりと、「遊んでくれる人が誰もいないの」とこぼしました。娘のクラスの子たちはほとんど、保育園時代から一緒にいる子たちで、すでに仲間ができており、娘は「よそ者」なのです。道理で迎えに行くと、いつも一人ですべり台で遊んでいるなと思っていました。子供の頃のけ者にされたこともあり、娘の一人ぼっちの寂しさが分かるゆえ、ついつい感情的になっている私をよそに、マシューが「それがこの罪にまみれた社会だよ。」と娘に言い聞かせています。「イエス様もこの社会からのけ者にされただけじゃなくて、嫌がられ、つばをかけられ、鞭打たれ、殺されたんだよ。でもイエス様は、決していじめっ子にはならなかった。だからユリもいじめっ子になっちゃだめだよ。いじめられっ子の友達にならなきゃだめだよ。」
1ペテロ2:22-23にこのようなみことばがあります。
「キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。」
それゆえ、「私たちの弱さに同情でき」るお方であると(へブル4:15)。
私たち親は、娘をこの厳しい社会から守ることだけでなく、この厳しい社会、悪しき世の中で、キリスト者として生き光を放つよう、祈りつつ訓練していくことであることを、改めて教えられた一日でした。